私の名はシルベストル・コルベール。
コルベール国第二十八代国王という玉座にこの身を封じられている存在だ。 この世界の全ては四方を海に囲まれた大陸一つにあり、このコルベールを含む六つの王国が常に領土を競い合って大なり小なりの戦争を繰り返している。 特に我がコルベールは、内陸に向かって右を軍事国家バルネヴェルト、左に大陸で一番歴史が古いとされているアヴァティ、正面左に国境付近の開拓を国家施策として勢いよく行っているロバト、そして正面右に文化発展がどの国よりも突出して秀でたカーリアイネンの四カ国を常套で相手にしなければならず、いかに仕事が出来る側近に恵まれていようとも、山積の問題は減る事は無い。 それに加えて、 「陛下、ご報告が」 「オーブリーか」 「は」 侍女によって着替えを始めていた私の視線を奪ったオーブリーが、深く一礼して後ろに結わえていた赤髪を揺らした。 夜が明けての朝議前、大抵は悪い知らせだとは知っているが、尋ねない事には誰も王である私に続きをくれはしない。 「どうした?」 「訃報にございます」 「続けよ」 「ご内室様が一人、お亡くなりになりました」 「・・・どれだ?」 「アレット様でございます」 「アレット…確か懐妊の兆しがあると報告に上がっていた妃か」 「はい」 私と同じく、二十二歳になったばかりのオーブリーの表情は暗いが、特に取り乱す様子もない。 それもその筈、先王である父亡き後、私が即位してから二年目となる 厳密に言えば、そのほとんどが後宮内での出来事となり、父の代から数えれば、母を含めて百は超える人の死に耳慣れている私にとって、いつ娶ったかも知れぬ女の訃報は、月に一度、あるかないかの常套でもあり、宮仕えの者達にとっても同様だ。 把握しているだけでこの人数。 身代わりに死んだ侍女などを含めれば、実際はもっといる筈だ。 「毒殺か」 「はい」 「…どうせ女官か侍女の一人が名乗り出て 「はい。既に、犯人と思しき侍女のその身柄は拘束されております」 誰の侍女かと、問う事も時間の無駄だと私は知っていた。 命じたのがその主かといえば、殆どが 邪魔な者を排除する為に、更に邪魔な者の手駒を使って 次は己がやられる番だとは露ほども考え及ばないのか。 やってやられて、このコルベール国は、外国から向けられる火種よりも、後宮内で巻き起こっている、私の正妃の座をかけた戦いの方が熾烈だった。 「今、 世継ぎをと急かされ、後宮に次々と入れられてくる女達はどの国の間者よりも鋭く、かつ冷酷で容赦がない。 私が誰かの部屋に渡れば、どんなに密やかに済ませても、次の日には上位の妃にて催される茶会で的にされ、懐妊していないと確認出来るまでは四方八方から監視がかかる。 兆しがあれば、国母にならんとする女達の忠実なる これは、最初に男子を産んだ内室が正妃になるという、法的効力を持つ慣例からきているもので、古から 「現在懐妊が見込まれているのは八名様ほどかと」 「・・・八、か。全員は守りきれまい」 「そう思います」 「上位から護るか、もしくは各妃の家系を調べ、男腹か女腹かによって賭けて護るか」 「陛下、さすがにそれは…」 苦笑して私を見上げてくるオーブリーに、やはり苦笑を返すしかなかった。 「余は、余の子に無事出会える未来があるのかどうか、それすらも危ぶんでいる」 「お察しいたします」 「察せられるものか。余の子でなければ、健やかに生まれ、永らえていたのであろう幾人もの赤子が哀れでならぬ」 「畏れながら、陛下のお子でなければ母子共に極刑でございます」 「…なるほど。母がこの王宮に生きる限りは変わらぬか…」 「御意」 話している間も、侍女達によって続けられていた私の着替えは全て終わり、頭上に王冠を載せられたのを受けて、立ち上がる。 この重みがある限り、私は自由に空を見上げる事も出来ない。 なれば、諦めて毒も皿ごと食らうまで。 「オーブリー、確か我が従妹のブランディーヌが明日後宮に入る予定だったな?」 「はい」 「ここ数年は疎遠であったが、ブランは知らぬ仲でもない。後宮には入れず、余の寝室にて厳重に囲おう」 「陛下、それでは後宮に娘を送り込んでいる貴族や大臣達から相当の反発があると思われますが、よろしいのですか?」 「その騒ぎは、早く世継ぎをと余を急かす割には矛盾しているとは思わぬか? "そなた達の願う通り、世継ぎを急ごう"と、余は先んじて宣言する。世継ぎの母が自分の娘でないと困るなど、他の者達を前に誰も声高には主張できまい」 「承知いたしました。ではそのように手配を」 髪の色が金であったか黒であったかすら覚えていない。 王がご覧になる姿ではないと、別れの機会すらなかったアレットの遺体は、後宮医によって毒の検分が行われた後、火葬された。 貴族以上は埋葬が一般的なコルベールだが、毒で穢れた体は土には返せないのが、これもまた古くからの習わしだ。 この国の…というよりも、この国の王宮文化はそう複雑でもない筈だが、人の醜さが露呈する歴史を積み重ねてきており、誰も彼もがその負の慣習に囚われている。 打破しようと試みた事は幾度もあるが、その度に政務が滞り、古参の貴族が暴れ出す。 結局は何一つ変えられないまま、疲れて断念せざるを得なくなるのだ。 まだ二十二歳の私に力が足りないと、言われればそれが全てだった。 それから約一年後――――――。 「おめでとうございます、陛下」 「王太子様ご誕生でございます」 「心よりお慶び申し上げます」 「ああ」 アレットでは止まらず、実際に懐妊していた内室が様々に起こる不幸な事故により命を落とす中、私の寝室に囲って善悪問わずの全てから隔離し、意図して寵を与え続けた従妹のブランディーヌは、無事に、私と同じ青みがかった黒髪の男子を産んだ。 「よくやった、ブラン」 薄紅の髪をベッドになびかせ、まだ力なく横たわっているブランディーヌは、それでもその表情を輝かせており、 「ありがとうございます、陛下。わたくし…王子を産みました」 「大儀だ。これより国母と呼ばれる身になり、また難儀も増えるだろうが、奥の采配はそなたに任せる」 「はい。必ずや陛下の安寧の為に尽力いたしますわ」 微笑んだ様子は、母になったからなのか、これまでに知る幼馴染のものとは少し変わったように感じられた。 強い美しさが増したという事なのだろう。 生まれながらの王太子である初めての子にはアシルという名を授け、慣例通りにブランディーヌが正妃となり、後宮にも、 不思議なもので、アシルが産まれた事により落ち着きを見せた後宮には、高位貴族の機嫌取りも兼ねて新たに迎えた十人程の妃達への義務もあり、なるべく日を空けずに通っていたが、誰一人、懐妊の兆しすらなく、今なら健やかに生まれ出ずる事も出来るだろうにと、複雑な思いの中には、光も見ずに天に上った子達への哀悼があった。 そして、即位して八年目、二十七歳の春。 一人の人間として生きる感覚の乏しかった私に、眩しい出会いが訪れる。 |