小説:望みなき恋と光⑩

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ロゼール⑩

可愛いロゼール。
君が王宮に出仕してもう二年が過ぎた。
外の世界を知りたいというお前の為に父上の説得に助力して王都へと送り出し、以降、口も挟まずに見守ってきたけれど、そんな僕の気持ちを汲んで、そろそろ故郷(ラフォン)の事も思い出してはくれないかい?
冬で道が閉ざされる前、出来れば秋が実る前には迎えに行くつもりだ。
この手紙を託したヴェロニクにも同じように伝えてある。
致仕の準備を整えて、僕の迎えを恙なく待つように。
これはお願いではなく、兄としての命令だよ。可愛いロゼール。

レナルド

 

 

「――――――もう、お兄様ったら」

読み終えた手紙を折り畳んで、私は大きく息を吐いた。
そんな私へと、窓の外を眺めていたヴェロニクさんが肩越しに振り返る。

「レナルド様はロゼーヌ様を甚(いた)くご心配のご様子ですね。そして、甚く愛でていらっしゃる」

確かに、四つ年上のお兄様には幼い頃からとても愛されていると思う。
隣国バルネヴェルトとの国境を守るお父様は子爵領を束ねる領主というよりも、将軍としての貫禄たっぷりの方で、コルベールでも最大の民族と呼ばれるカミュ一族を従えて年の半分は戦場にいらっしゃったから、親子としての思い出も語れるものは少ない。
お母様が亡くなってからはほとんど屋敷にも身を寄せなくなって、その分を補填するように、お兄様が構ってくれたのがラフォン家の実情だ。

「とても優しいから、お兄様は」
「そのようですね」
「でも・・・ヴェロニクさんがお兄様とお手紙のやり取りをされているなんて、思いもしなかったですし、全然気付きませんでした」

珍しく私の部屋を訪ねてきたヴェロニクさんにお兄様からの手紙を差し出された時は、何が何だか、一瞬時間が止まってしまったけれど、

「意識して 内密にしていたわけではないのです。私はカミュの人間。ラフォン家が統べる土地には私達の先祖の血が通っています。その主家から打診があれば、出来る事に協力は惜しまないというだけです」

生まれ育った屋敷で、お父様が治める領内で、時々見かけたラフォン家への臣義を示す態度。
ヴェロニクさんも、そういう家系に生まれているのかもしれない。
だとすると、いつから情報のやり取りをしていたのか。
とても気になるけれど、聞いても新たな気がかりが増えるだけのような気がしてやめた。

「レナルド様がお迎えにいらっしゃるまでひと月もありません。近く職を辞すると、直ぐにでも女中長へお話をすべきです。――――――それとも」

少し、ヴェロニクさんの声音の雰囲気が変わった。

「それとも、管理官に直接・・・がよろしいのでしょうか?」
「え・・・?」

ヴェロニクさんのその眼差しと言葉に、何かの意味が含まれているのを確信する。

「あの・・・」
「女中の誰かが」

張り付く程に乾いてしまった喉にどうにか唾液を飲みこんで、ようやく切り出した言葉すら、直ぐに遮られてしまった。

「女中の誰かが・・・王宮に住まう尊きお方の寵を得ているとか何とか。噂は、無責任に駆け回っております」
「・・・」

ルノダ様と、シルベストル様直属の騎士様達で厳しい箝口令を布いて、出来る限りの少ない関係者だけで守秘してきたつもりだったのに、ラビヨン様の言う通り、悪気は無くとも、人の口には戸が立てられないとは、こういう事なのかと背筋が震える。

「噂の域を出ないという事は、正式な書面が交わされたわけでもないのでしょうけれど、将来の事を思えば、ただ弄ばれただけの女というのは、哀れなだけだと思いますわ。ロゼール様も、そうお思いでしょう?」
「・・・そう・・・ですね」
「そのお答え」
「・・・え?」
「そうお答えになるという事は、つまり噂の側女(そばめ)とは、ロゼール様の事ではないのですね?」

それは、と。
出そうになった声は、無理に抑え込まなくてもか細く消えるだけだったと思う。

“お兄様、私、王宮を離れられません。ここには、ずっとお傍にいたいと、そう思える人がいるのです”

強く心に現れた想いは、

「・・・」

シルベストル様に直接召されたわけではない私の立場では、まだ口にする事は出来なかった。

――――――
―――――

「ロゼール。今日は久しぶりに、あの垣根に行かないか?」
「え?」
「そなたは、私達が言葉だけを交わしていた垣根のこちら側の景色を、まだ知らないだろう?」

ほんの少し、悪戯っぽい表情を見せたシルベストル様に、私の胸はトクリと跳ねた。

「シルベストル様がおいでになっていた、あの垣根の向こう側ですか?」
「そうだ」
「行ってみたいです」
「そうか」

そう言って、手を差し伸べられたシルベストル様に、私はとっさに反応出来なかった。

「あの・・・」

それはまるで、――――――もう完全に、男性が女性をエスコートする時の所作で、

「気にするな」
「ですが」

思わず周りに人がいないかを、首を回して確認していた私に、シルベストル様が微かに苦笑された。
きっと人払いをされたのだろうと考え至った私は、

「はい・・・」

そろりと手をあげて、指先をシルベストル様にお預けする。
剣を振るう事が出来るというその御手は、意外にも柔らかい事を私はちゃんと知っていて、

「行こうか」
「はい」

私の歩幅に合わせるように、ゆっくりと歩き出したシルベストル様に、私もまた、ついていけるように歩を進める。
その、今日はいつもより笑みの薄いような気がする端正なお顔を見上げると、頭上の王冠が陽光を受けてしっとりと輝いていた。
填められた宝石の大きさが、この方がこの国の至宝だという証。
その隣にいる私は、王宮の女中であり、身分はしがない子爵令嬢。
ただ閨に侍らせるのならまだしも、本来なら、こうしてお傍に立ち並ぶ事は、許されない立場の筈。
身動きもしない衛兵達の、視線を感じるような気がするのは意識のし過ぎなのか。
私はどんな風に思われてもいいけれど、私のせいでシルベストル様が侮られるような事は絶対に嫌だと、今までになかった強い思いが剥き出しになるのは、ヴェロニクさんから聞いた噂のせいだ。

「この季節の薔薇は小さいな」

美しく剪定された庭園を過ぎ、馬駆けの道にもなるという広場を越えたその先には幾つもの大木が並び立っていて、その影が届くか届かないかの向こうに、薔薇の垣根が確かにあった。

「・・・でも、とても綺麗です」

私が反対側から見ていた垣根は、なるほどこの垣根の裏側に過ぎないのだと、漸く知る。
もしかしたら、知らない方が良かったのかも知れない。
こちら側に溢れて咲く薔薇の、その隙間に入れなかった薔薇が、私から眺めていた薔薇なのだと、知ってしまえば、あの美しさがこれからは物悲しく映ってしまうような気がして、美しさに感動した半面、寂しい気持ちも湧き出てくる。

初めてショコラを食べて、糖蜜を思ったあの時の気持ちときっと同じだ。
美味しいと解っているけれど、もうそれが全てじゃない。
綺麗だと解っているけれど、もうそれが、私が知る全てじゃない。

「ここで寝そべりながら、そなたの声を聞いていた」
「・・・」
「そなたの子守歌を聞いていたのだ」
「シルベストル様・・・」

木々が揺れて、木洩れ日が煌めく度に、それを映すシルベストル様の青を交えた黒髪も揺れる。
それはまるで、目に差し込むような深い空の青。
シルベストル様を示す、崇高なお色――――――。

「ロゼール」

持ち上げられたシルベストル様の右手の先が、そっと私の左頬に触れた。

「そなたは、愛は感じるものであると、そう言った」

まるで応えを求めるような眼差しに、私は操られるようにして頷いてから口を開く。

「はい。亡くなった母に、そのように言い聞かされました。愛とは、示してもらう事を望むよりも、自身で見つける方が希望があって良いと」
「自分で見つける――――――か」
「・・・はい」
「それで、幸せになれると思うか?」
「・・・え?」
「自分で見つけるだけの幸せで、女は果たして、幸せを感じて満足する事は出来るだろうか」

これは、どのような意図でもって口になさった問いなのだろう。

「はい、それは、きっと・・・。そうして見つける事が出来た愛は、どんなにささやかでも紛れもなく本物だと、母は申しておりましたから」
「そうか」

微笑まれたシルベストル様の指先が、私の前髪をわけるように触れてきた。

「では、私は乞おう。ロゼール・ラフォン嬢」
「え?」

驚いて声を上げた時にはもう、蹲った体勢から膝をついていらっしゃって、

「シルベストル様、おやめくださ」
「ロゼール」

真摯に私を見上げてくる深藍の眼差しは、まるで空を映しているのかと思う程に澄んでいる。

「余が、そなたに恋をした事を、罪であったと思う時が来るのだとしても、私は、このシルベルトル・コルベールはそれすらも覚悟してそなたに乞いたい。どうか――――――」

シルベルトル様が、私に何を乞おうとしてくださっているのか、その視線だけで十分に伝わってきていた。

明確な未来もなく、ずっと心細かった分だけ、胸が震える。
まだはっきりと望まれてもいないのに、|Oui《はい》という返事だけが口から零れそうな勢いだったのに、

「え・・・?」

――――――ふと、シルベストル様の視線が私から逸らされた。

それよりも先に、

風が、止まった。

鳥が、鳴き止んだ。

ズササササ――――――ッ、

まるで、森の中を何かが駆けるような音が空から、

――――――空から?

「陛下!」

王騎士の一人が、そう叫びながら駆け寄ってくるのがシルベストル様の背後に見えたのと同時に、私達の頭上から降り立った人間の影も見えた。
そして、その影が持つ長い剣も。

シルベストル様が刺される。
そう思ったのは一瞬、

「ロゼール!」

腕を引かれ、私はシルベストル様に抱えられるようにして地面を転がった。

「ロゼール! 大丈夫か? どこも切られていないな!?」

そう問われたけれど、答えられない事が解っているのかいないのか、シルベストル様は私の全身に手を当てながら状態の確認を進めている。

「ここで座って待っていろ!」

私の無傷を確かめた後でそう命じられたシルベストル様は、ご自身も剣を抜いて騎士達に交じって参戦しようとしたけれど、木から滑り落ちてきた幾つかの黒い影は、それを無視して私を目掛けて剣を突き出してくる。

「やめろ! 狙いは余であろう!」
「シルベストル様!」

誰の剣先なのか、見極められない程に状況が入り乱れた。

「何故だ! 何故ロゼールを!?」

それを弾いては押し退けるシルベストル様と、その左右を守る二人の騎士が戸惑う程に、彼らの狙いは確実に私。

「アロイス! 必ず一人は生かして捕らえよ!」
「は!」

一人、また一人と、私の目の前で切られては倒れ、刺されては倒れて行く。

「陛下!」
「陛下御無事で!」

騒ぎを聞きつけたのか、騎士達とは制服の違う兵士も二人、庭園の方から駆けてきた。

「衛兵! 彼女を安全な場所に――――――」

肩越しに言いかけたシルベストル様の叫びが止まり、驚きに目が見開かれる。
私も釣られて視線を向けた先では、衛兵の一人が剣を大きく振りあげていた。

「ロゼール!」
「きゃあッ」

剣が風を切る音が、重く耳を掠める。
それと同時に、ざくりという嫌な感触が、私の血潮に駆け巡った。

――――――切られた?

「ロゼールッ!」
「あッ」

誰かが私の身体にぶつかってきた。
あまりの激しさに、目の前の景色が凄い速さで左右に揺れて、

「シル・・・ト・・・さ・・・」

私の意識は、そこで途切れた。

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