小説:望みなき恋と光⑪

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ロゼール⑪

――――――水の音がする。

「・・・ル」

この音は知ってる。
水に浸った布を絞る時の音・・・。

「ロゼール様?」
「・・・」

自分は眠っているのだと、そう理解した瞬間に、声の主が誰かも分かった。
うっすらと目を開けて声のした方に顔を向けると、そこには小さな布の形を整えているヴェロニクさんがいて、

「大丈夫ですか? どこか痛いところはありますか?」

尋ねながら、私の額におかれていた布と手に持っていた布を交換してくれる。

「大丈夫・・・です」
「それは良かったです」
「・・・ここは・・・?」
「医務室です」

言われて、一度だけ同僚の付き添いで来た事があったと思い出した。
見覚えがある内装。
見慣れた、内装。

「中央宮は危険だからと、陛下がこちらに運ぶようお命じになられました」

私の心を読んだかのようなタイミングで、聞き知った第三者の声が挟まれる。

「ラビヨン・・・様?」

慌てて身を起こすと、額に当てられていた布が落ちた。
部屋の端に立っていたのは、間違いなくオーブリー・ラビヨン様で、

「先ほどの刺客は、恐らくは後宮の誰かに送り込まれた者達でしょう。外から王宮に入り込むには数が多すぎますし、衛兵は長らく陛下への忠誠の元に仕えていた者でした」
「・・・シル、――――――・・・陛下は、ご無事ですか?」
「ええ。多少の動揺はおありでしたが、既に平静を取り戻して執務に戻られておいでです」
「そうですか・・・」
「こちらは、陛下からラフォン嬢に、”この度の事はすまなかった”と」

十本程の、黄色のチューリップが束ねられた花束が、ラビヨン様の手から、私へと渡される。

「”余の気持ちだ”と」
「・・・」
「花言葉をご存知のラフォン嬢であればお解りになるだろうと、そうおっしゃっていましたが・・・」

不安気に眉根を寄せるラビヨン様に、私は小さく頷いた。

「良く・・・解りました」

微かな笑みを足せば、漸くラビヨン様にも笑みが浮かぶ。

「何か、陛下に言伝があればお預かりいたします」
「・・・そうですね・・・。では、”陛下のより良き幸せが、一刻も早く訪れる事を祈っております”と」

私の言葉に、ふと首を傾げた気がしたラビヨン様だったけれど、直ぐに真顔に戻って頷き返してくれる。

「ええ。陛下はその為に今、後宮に対して徹底した粛清の準備を行っているところです。ご自分の欲の為に権力を振るう気になったのは、私としては喜ばしい限りですよ。あの方に物足りなさを思うのは、少しも暴君ではないところでしたので」

その言葉には、幼い頃から王族としての不自由さに諦めで臨んでいたシルベストル様への情愛が窺える。

「シルベストル様は、きっと歴史に残る王様になると思います」
「臣下としてはもちろんそれを期待しております」
「・・・”どうか、お体をご自愛ください”とも、お伝えいただけますか?」
「承知いたしました。必ずやお伝えいたしましょう」
「ありがとうございます」
「それでは。私はこれで。ラフォン嬢も早く良くなってください。必要があれば、連絡はルノダ管理官に依頼を」
「はい・・・」

必要があれば。

それは、私が何か、これまでの事に関して報酬を望むとか、そういう事だろうか?
疑問は黒い凍みとなって心の隅で型取られてしまったけれど、それに勝る悲しさが、ラビヨン様を呼び止める勇気を挫いていた。
ラビヨン様が部屋を出て行かれた後の静けさが次第に身に沁みてくる。
それまで、無音で控えていたヴェロニクさんが私のいるベッドへと近づいて来た。

「うぅ、・・・ふ、ッ」

目の前に鮮やかに輝く黄色の花が、嗚咽を堪える度に溢れ出る涙の中でぼやけては光り、ぼやけては光り・・・、

「ヴェロニクさ・・・お兄様に、て、手紙を・・・」

チューリップを持つ手にパタパタと落ちる涙は、火傷しそうな程に熱く感じられる。

「今すぐ帰りたい・・・。帰りたいの・・・」

私の言い様はまるで子供が駄々をこねているようで、

「よろしいのですか?」

ヴェロニクさんの言葉が、シルベストル様との事を指している事は、もちろん気づいていたけれど、

「今すぐにでも、王宮を辞したいと・・・お兄様に伝えて」
「ではそのように」

令嬢としての矜持を、最後の最後でどうにか引っ張り出す事に成功して、意志を託せた途端に、また気が緩む。

“そなたには名を呼んで欲しい”

シルベストル様・・・、

“余に、慰めを”

シルベストル様・・・、

“このように安らかに過ごせる時間が、余は愛しくて仕方ない”

シルベストル様・・・、

“そなたに恋をした事を、罪であったと思う時が来るのだとしても、私は乞おう”

シルベストル様・・・、

私は、

――――――私は・・・、

“余の気持ちだ”

この黄色のチューリップに託された伝言(メサージュ)は、”望みなき恋”。

愛しいと、シルベストル様が私を想ってくださった事はきっと真実で。
だからこそ、

『何故だ! 何故ロゼールを!?』

あの時の、シルベストル様のお声から伝わってくる焦りようは尋常ではなかった。

母君を、後宮争いで亡くされたシルベストル様は、
重ねて、王太子様を亡くされたシルベストル様は、

『あなたを失うかも知れない魑魅魍魎の住まう世界に、想いのままあなたを誘って侍らせる事を、陛下は深くご思案でいらっしゃいます』

私を、その世界から遠ざける事をお選びになられた。
私を、傍には置かないと、判断なされた。

でも私は、このまま王宮にいればいるほど、想いを募らせ、寂しくなる程に、危険な目に遭ってもいいからと、シルベストル様の足元にみっともなく縋ってしまうかもしれないから。

そんな醜態を晒す前にどうか・・・、

どうか・・・、

――――――
―――――

それから半月も経たない内に、私はルノダ様やお兄様の助力を得て、恙なく王宮を致仕する事になった。
コルベール王国が誇る王都をラフォン家の馬車で過ぎ、しばらくすると、ヴェロニクさんが外を見るように声をかけてきた。

「・・・綺麗ね・・・」

シルベストル様がお住まいの、中央宮殿が白く美しく輝いている。

私が、ルノダ様のお膝元で身を隠して過ごす間、王宮では大層な事変があった。
それは、シルベストル様のご正妃、ブランディーヌ様の国家反逆。
聞いた話によると、シルベストル様に他の御子が出来ないよう、後宮に出される食事全てに細工をしていたらしい。
どうやら、アシル殿下が毒でお亡くなりになったのは、それを突き止めた数人の側室方が報復として手を組んだ事による顛末で、私を狙ってきたあの刺客も、シルベストル様に寵姫が出来たとの噂を聞きつけたご正妃様の策謀だったらしいと、後からルノダ様に教えていただいた。
ただし、その件については私の事を公にしない為にも、罪状に列記しないらしい。

あの美しい宮殿の一角で、人を人とも思わない争いが、着飾ったドレスの裾の影で、塗られた美しい化粧の下で、日々繰り広げられているのだと思うと、とても物悲しい。
そして、それをずっと目の当たりにしなければならないシルベストル様を思うと、なお悲しくて、

『王家に生まれた余の宿命であろう』

弱さを零すように、私の膝枕の上で紡がれた言葉を思い出す。

「シルベストル様・・・」

見上げた空の色が、既に懐かしくもあるシルベストル様と同じ深い青だった事が、さすがに涸れただろうと思っていた私の涙をまた誘った。

 

 

――――――
――――

あれから、過ぎたのは三十一年という、長くもあり、短くもあった年月。
病に倒れて、命尽きようとする苦楽が濃くあった旅の果てを、私は大陸統一を果たしたカーリアイネン帝国の皇宮の一室で迎えようとしていた。

「本当に、コルベール王に知らせなくてもいいの? ロゼール」
「いいのです・・・。私は、こうしてお世話をさせていただいた殿下にお心を砕いていただきながら、あの方を想って旅立つ事が許されるこの生の終わりに、とても満足しております」
「ロゼールは、ほんと、人が好すぎ」
「・・・私の兄も、良くそう申しておりました」

話題になってから漸く思い出す、もう遠いお兄様の記憶。
私が王宮を辞してから一年後、お兄様は不慮の事故でお亡くなりになった。
それは本当に突然の事で、その兄に守られていた私の運命は、ラフォンとカミュを結ぶ予定だったお兄様とヴェロニクさんの代わりに、父に命じられてカミュ一族の嫡子の元に嫁ぐ事に急遽転じた。

「花嫁に逃げられないように、地下に閉じ込める事でしか愛情を示せなかった愚かな夫に、立てる操なんか無くしていいのに」

結婚式を挙げたその日から十二年間、私を外に出さなかった夫の事を、この美しくお優しい方はいつも代わりに憎んで下さる。

「殿下・・・。私は、そんな殊勝な想いでシルベストル様にお目にかかるのを拒んでいるのではありませんよ?」
「ならどんな想いで?」
「・・・王族でありながら、王族でない事を望むその愚かさを、よくご存知の方でした。・・・ですから、私がいればなおの事、王族である事の不自由さを思うのではないか。そんな気が、するのです」

息が上がってきた私の額に、まだ少年の柔らかい掌が当てられる。

「――――――ロゼール。熱が出てきた。少し、休んだ方がいい」
「いいえ。・・・次に目を閉じれば・・・私は・・・この美しき世を、もう見る事は・・・ない・・・しょう」
「それでは、今バルネヴェルトから帝国(こちら)に向かっている父上と母上は間に合わない。叱られるぞ」
「お許し・・・くださいと、皇太子殿下から・・・」
「僕が? 嫌だなぁ、その役」
「・・・」
「分かったよ。伝えておく。――――――ロゼール。最後に、僕に叶えられる望みはある?」
「・・・空を・・・」

地下から出られなかった十二年の、私の支えはシルベストル様の青だった。
空が見えなくても、あの方の眼差しと、黒に混じる美しい青が思い出にあったからこそ、子を産んでは取り上げられる人生を、私はギリギリの心で耐え抜けたのだ。

「いいよ、見せてあげる」

背中と膝裏に腕が差し込まれ、私の身体がふわりと浮いた。
畏れ多くも、長年お仕えした皇太子殿下に抱きかかえられているのだと恐縮しきりだったけれど、私を見つめるその暁を映した湖のような眼差しがとても嬉しそうに細くなっているから、辞さないのも臣下の努めだろうと黙して身を預ける。

「――――――見える? ロゼール」
「はい・・・。美しい・・・青・・・で」

どんなに止めどない涙の中に埋もれても、シルベストル様の青だけは、私の心の目で見る景色からは、決して消える事は無かった色だ。

シルベルトル様。

もし私の声が風に乗って届くなら、一つだけ、心変わりした事をお伝えしたい。

例えばショコラを知らなければ、例えば鶏肉を知らなければ、もっと幸せに日常を受け入れていたかも知れないと、私はそうお話しましたが、あれは間違いでした。

だって今、こんなに空の青を美しく感じる事が出来るのは、シルベストル様の青を知っているから。
出会って、お別れをして、とても悲しくて寂しかったけれど、その中で思い出すシルベストル様の青は、いつも私を幸せにしてくださった。
四十九年の人生の中の、ほんの僅かな時間の”望みなき恋”。
それをシルベストル様に贈られた事こそが、女としての、私の誉れでもあるのです。

だから、

だから、シルベストル様・・・。

「おやすみ、ロゼール。来世まで、良い夢を・・・」

もしまたお会い出来る日が来るのなら、

来るのなら――――――・・・

 

 

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