小説:望みなき恋と光㉓

ジェラルド㉓

 ”オーブリー…?”

 何かを、主に悪だくみを意図する際の見慣れた笑み。
 それを感知した途端、シルベストルの胸に期待が灯り、同時に、オーブリー・ラビヨンがこれでもかと目を細めた。

 ”撥ねましたとも。それはもう、雷光の如く迅速に。こちらの手の内の者以外の何者にも、見られる事、気取られる事なく、かの存在の首を撥ねました”

 シルヴァイン・バレと称(い)う”存在の”首。

 ”オーブリー!”

 紛らわしい言葉の中に見つけた期待通りの真実の片鱗に、嬉しさのあまりそれを讃えて肩を叩けば、シルベストル・コルベールの最も信頼すべき忠臣は、ますますしたり顔の笑みを深くする。

 ”ラフォン家乗っ取りに卑劣な手段をとったカミュの統領の子とは思えないほど、ロゼール様に育てられた御子は、清く、とても利発なご子息でした。その人柄に心を寄せていた昔からの数人のラフォン家の者達が、内々に庇護を嘆願して参りまして、貴族といえど、――――――いえ、貴族だからこそ、悪ではなく善の思いで事を成し遂げたその裁量を、大人になって後に活かせるのではと一考し、私の独断で偽装を決行いたしました。現在、バルネヴェルトとの戦に巻き込まれて死亡したとの筋書きの裏で、私の遠縁の屋敷にて匿われております。陛下には、事後のご報告となりました事、大変申し訳ございません”
 ”構わん。よくやってくれた。感謝する”

 言いながらホッと息を吐けば、ロゼールの行方を追う欲求に盛大に駆られたシルベストルは、直ぐにバルネヴェルトへと探索隊を差し向けたが、カーリアイネンと共に統一を果たそうとする王子の周りは盤石で、情報を得る事は困難を極め、やがて自国にも及んだ戦火を前に、コルベールの王としてそれに意の全てを費やす事は出来なくなった。

 その頃のシルベストルにあったのは、ロゼールを護れなかった後悔と、そして、愛しさ余っての僅かな憎しみ。

 なぜあの時、余の光だと、チューリップに想いを込めた求婚を受け入れてくれなかったのか。
 同じ不幸なら、自分の側でそれを味わったとしても、それと同じだけの幸せも与えてやる事が出来たのにと。

 後宮の争いに巻き込まずに済んだと安堵する一方、黄色のチューリップの一般的な意味を知らなかったシルベストルは、相反する複雑な想いを憧憬と共に抱えていた。
 人生の終盤には、十分に昇華させるに至れたけれど、どうにか出来なかったのかと、燻っていたものは確かにある。

 「リアーヌ。――――――僕はもう、大切な人が傍にいない事を後悔しながらの人生は送りたくない」

 だがロゼールがシルベストルを離れた理由が、黄色のチューリップからくる誤解なら、今の僕達を隔てるものは何もない筈だ。

 「貴女に嫌われていないのなら、僕は全身で貴女を掴みたい」
 「ジェラルド様…」

 瞳をなおも迷わせるリアーヌに、寛容だと信じていた自分が揺らぐ。

 「この世界に、僕と貴女がいる事以外に、他に理由が必要?」
 「…え?」
 「僕達が、これからを共に生きて行く事に、生きて行けるか確かめ合う事に、他にどんな理由が必要なの?」
 「そ、それは…」

 例えば、ロゼールが六歳まで育てたシルヴァインが、名を変えてラビヨン家の遠縁となる男爵家に養子として入った事。
 例えば、その子孫が更にラビヨン家の濃い血筋を混ぜて何代か継承され、現在まで続く最後の系譜である令嬢が、嫁ぎ先でリアーヌ・デュトワという至宝を産んだ事。
 例えば、ロゼールがカーリアイネンの帝都ジュマラタルタの皇宮で皇太子に看取られたその二年後に、シルベストルが身罷ったという事。

 この結果、僕とリアーヌがこの世界に記憶を以って存ある事は、運命という名で劇的に表して終わるべきものじゃない。
 恐らくは、未だ人が知り得ない、世界の神にとっての摂理がそこにはある。

 僕と兄上、フランシーヌの三人で考え至ったのは、記憶は血筋で以て引き継がれているという事と、それが顕れる事は糸口が無い限りは恐らく稀だという事。
 そして、記憶があって答え合わせが出来たのは、現世での記憶持ち同士の年齢差は、前世での死に別れた時と同じであり、この世界の人々は、ほとんどが些細な程度でしか気づかないまま、新たな人生を繰り返しているのだ。

 ロゼールが先に逝き、二年後にシルベストルが。
 そしてオーブリーが死んだのは、シルベストルが没する八年前。
 そのオーブリーの母であり、ラビヨン侯爵の生涯の想い人でもあったクレマンス・ルノダは息子を天に見送る程に長生きをした。

 フランシーヌ、リシャール、リアーヌ、そして僕。
 記憶を取り戻すのは、そのような巡りの星が集まった場所での、ほんの一握りの存在なのだ。
 なぜ僕が、なぜリアーヌが、そんな理由は解らない。
 けれど、

 「僕がリアーヌと出会って、こうして二人、今ここで手を取り合っていられる事に、どんな名前をつければ納得する?」

 頬に触れたままだった手をそっと動かせば、

 「ジェラルド様…」

 僕の両の掌の中で、リアーヌが僅かに首を振った。
 見た目に余る気品を上回って、顔を真っ赤にしたその表情からは、内面の可愛らしさが顔を出している。
 きっとこれが、本当のリアーヌらしさなのだろうと、不格好に涙を我慢する唇の形が愛しすぎて、僕の表情は緩む一方だ。

 「こうしてひと時ひと時進む毎に、貴女は僕の中に入って来る」

 彼女がロゼールで、僕がシルベストル。
 その事が、現世のリアーヌとジェラルドに、どんな悲しみを齎すというのか。

 「こうして見つめ合っている間にも、貴女の中に、僕は入り込んではいかないの?」

 近づけば近づく程、僕の手は彼女を求め、僕の中へと欲するのに。

 「ジェラル…」

 両腕をリアーヌの腰にしっかりと廻し、ダンスの時よりもしっかりと体を密着させると、逃げるように上体を後ろに反らした彼女は、泣き顔を隠す事も出来ずに僕を見つめていた。
 拒絶を示すように僕の腕を掴んでくる手の力すら、とても愛おしい。

 「…だから」

 震えるように、リアーヌが言葉を呑み込めば、反動で溜まっていた涙が落ちる。

 「入り込んでいらっしゃるから…無理なのです」
 「え?」
 「わたくしはロゼールとは違います」
 「そんな事は解ってる。僕だってシルベストルじゃない」
 「そうではなくて!」

 まるで子供の用に首を左右に振るリアーヌは、もう可愛すぎて、愛しく思える人が泣いているのに、僕からは笑みが零れるばかりだ。

 「こ…こうして」

 リアーヌが僕に押されて一歩下がる度に、僕も合わせて一歩進む。

 「こうして、ジェラルド様が他の女性と同じように過ごされるのだと考えただけで、胸が張り裂けそうになるのです」
 「他の女性? …どうして僕がリアーヌ以外の人に迫る必要があるの?」
 「だって」

 だって。

 百年に一人と言われていたお手本のようなリアーヌ・デュトワが、駄々をこねるような言葉を使い、僕の腕の中で狼狽露に顔を真っ赤にして震えている。

 「殿下には帝国とのご縁談が…」
 「帝国? 嫁ぐのはジェルで、僕じゃない」
 「で…ですが、殿下には」
 「ジェラルド」
 「…ジェラルド様には、ご結婚のご予定が…おありでしょう? 帝国からお帰りになった際、褒章としてご結婚の許可をいただいたと、皆が噂しているのを聞きました」
 「あ」

 会話の最中、じりじりと壁際までリアーヌを追い込んでいた僕は、久しぶりに現実に還る。
 それを正面に受けたリアーヌは、ほらやっぱりと、僅かに責めるような色を含めた顔で僕を見てきた。
 貴族の令嬢という仮面を外した素のリアーヌは随分と表情が豊かだと思う。

 「うん。確かに、結婚の了承を陛下にいただいた」

 瞬間、リアーヌの眉間が辛そうに狭まったのを見て、僕は衝動的にその眉間へとキスをする。

 「ジェ」

 驚きに目を丸くするリアーヌも、また可愛い。

 「帝国へ発つ前に父上に取り付けていたんだ。今回の事は色々と王室の面子を立てなきゃいけない事情があってね。僕が万事を最良とした状態で帰国したら、見返りとして僕の望む人と結婚させて欲しいって」
 「…え?」
 「ちょうど母が貴女に婚姻の世話を焼こうと動いている真っ最中だったから、その歯止めになっていただいた。僕の懸想する相手が貴女だと知った時は驚いていたようだったけれど、デュトワ家なら文句はないというのが父上の本音だったと思うよ。僕が帰国した時点で、父に近い高位貴族達には既に根回しが済んでいたようだし」
 「…お父様…も?」
 「いや、デュトワ侯爵に伝えられたのは夜会にほど近い頃じゃないかな。――――――僕の贈った花は、全て貴女の目から隠されていたとバジェス公爵家のご令嬢、フランシーヌからそう聞いている」
 「あ」

 リアーヌが唇を開いて言葉を漏らした。

 「お花…ありがとうございました。わたくし、お礼も出せず…」
 「お礼は届いていたよ。母君から、義務的な文で」
 「それでも、申し訳ありません…」

 長い睫毛がヴェールとなって、伏し目になったショコラ色の瞳を隠す。
 それを僕に向けたくて、顎の下へと指が伸びかけたけれど、理性でどうにか抑え込んだ。
 過去から続く憂いの、何もかもを払拭したい。
 その為には、僕の衝動的な想いだけでリアーヌを掴みに行く事は得策ではないと自らに釘を刺す。

 「僕は、一年後には公爵として王籍から臣に下る。爵位は一代限りだけど、十年後には後継に渡せる領地を伯爵位と共に王家から賜る事になっているんだ。辺境の地ではあるけどね」
 「辺境…?」
 「旧ラフォン領だよ」
 「え?」

 リアーヌの目が、これまでで一番の反応を見せた。

 「カミュが力で統べる彼の地を治めるのは苦労が多そうだけど、とても楽しみにも思っている。ロゼールが生まれ育った土地でもあるし、懐かしい子守歌がまだ残っている場所でもあるから。これは、少しシルベストルの想いの方が強いのかも知れない」
 「ジェラルド様…」

 複雑な表情を見せたリアーヌを見つめる僕の視界の隅で、侍従のロイクが近付いて来くるのを捉え、その位置へと無造作に手を伸ばせば、目当ての物が握らされた。
 握った指に余るそれをしっかりと掴んで目の前に持ってくれば、真っすぐに咲く黄色のチューリップの束は美しい青の漉き紙に包まれていて、僕はその様をとても美しいと満足したのに、花の向こうにいるリアーヌの目には明らかな困惑が灯っていた
 考えてみれば、前世でも今世でも、良い思い出とは言えない花だから、心から望ましくはないのかも知れない。
 でも、

 「リアーヌ」

 意識してゆったりとした動作で床に片膝をつけば、名を呼ばれたリアーヌは驚いたように目を丸くした。

 「お、おやめください、ジェラルドさ」
 「そのまま、リアーヌ。動かないで」

 狼狽えて、僕と同じ目線の高さを目指して膝を折りかけたリアーヌに、強めの制止を表して向ける。

 「僕はね、リアーヌ」

 言いかけて言葉を切り、一つ深呼吸をしてから改めて口を開いた。

 「この黄色いチューリップが語る花言葉が、”望みなき恋”なのか、それとも”光”なのか。その答えを探しながらこれからの長い時間を共に生きる相手は、貴女がいいと信じてる」
 「ジェラルド様…」
 「だから、僕は乞うよ。リアーヌ・デュトワ嬢」

 そう告げると、リアーヌはハッとした様子で自らの口を指先で押さえた。

 「どうか――――――」

 ”どうか、余の妃になって欲しい”

 シルベストルが、ロゼールに対して生涯口に出せなかった求婚を、

 「 Veux-tu m’é pouser ? (僕と結婚してくれませんか?)」

 数百年を得て、その現身となる僕が刻めば、リアーヌの目から新しい涙が次から次へと零れ落ちた。

 「リアーヌ…」
 「ジェラ、ジェラル…さ」

 まるで降るように散るその涙は、きっと、リアーヌの想いだけが全ての理由ではない。
 ロゼールの過去を抱えたからこそ、必死に抑え込もうとしていても、辺りに響き渡る意味深い嗚咽は切なかった。

 「リアーヌ」

 立ち上がり、俯いたまま泣き続ける彼女の黄金の髪を撫でる。
 その輝きとは違う黄色が、僕達の間で艶やかに存在を主張して花開いていた。

 「貴女は、僕の人生を価値あるものとする存在だ。空虚な時間に、貴女だけが照らして彩を与えてくれる。どうか、この花の意味を、共に光として欲しい」
 「…ジェラ…」
 「それとも、また望みなき恋として、僕達の中に確かにあるものを見えない箱に仕舞い込む?」
 「…ぃ…ぇ」
 「でも僕は」
 「ぃぃぇ…いいえ、ジェラルド様」

 目の前で、リアーヌの眼差しが真っすぐに僕を見つめていた。
 濡れた瞳には、僕の赤を混ぜた髪の色が確かに映っていて、

 「わたくしも…もう見失いたくありません」
 「リアーヌ」
 「母の言う通りでした。自分自身が知っていれば、それは確かに幸せな愛だったのに」

 それは、リアーヌの母ではなく、示してもらう愛よりも、自分で見つけた愛であれば幸せには違いないと諭してくれた、ロゼ―ルの母の言葉。

 「今度こそ」
 「リアーヌ」
 「今度こそわたくしも、大切だと思える方と並んで時を歩んで、光を掴みたいと望みます」

 受け取った花束を、力を込めて抱き締めたリアーヌの唇が、黄色のチューリップの花びらに触れた。
 そんなリアーヌを抱き寄せる僕の唇も、同じ花へと寄せられていく。

 鮮やかな黄色は、二人の間で鮮やかに光を放っていて、

  「 Veux-tu m’é pouser ? (僕と結婚してくれる?)」
 「Oui」

 息がかかる程の位置で交わしたその約束。

 かつてシルベストルが得られなかった光の場所までの合言葉に、僕の中で、花と似た綻びがふんわりと咲いたのを感じていた。



 望みなき恋と光 –END-

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