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ジェラルド⑭
“お心遣いありがとうございました。殿下にご多幸が訪れるよう、陰ながらお祈りいたします。リアーヌ”
現世での再会を果たしたデビュタントの日から数日後。
勇気を出して贈った花束へのリアーヌからの伝言(メサージュ)に、僕は、現世でも打ちのめされた。
『・・・ド』
“より良き幸せが、シルベストル様に訪れる事を祈っております”と、ロゼールから送られてきた伝言(メサージュ)と、ほとんど同じ。
『ジェラルド!』
『!』
強く呼ばれた名前に、ハッとして意識を現実に戻す。
ゆっくりと正面を見渡すと、兄エドワール以下、四人の姉妹と、上座の父上と母上がそれぞれの表情で僕に注目していた。
『ジェラルド。体調でも悪いのか?』
『――――――いいえ、兄上。調べ物をしていて、昨夜が遅かったものですから』
『ふふ、夢中になると時間が分からなくなるなんて、ジェラルドもまだ子供ね』
『え?』
母上の言葉に思わず反応した僕に、一つ上の姉、シャンタルがクスクスと笑う。
『そろそろあなたも女性を喜ばせる手管の一つでも覚えたらどうかしら? その年で浮いた噂の一つもないなんて、男性として面白味がないのではなくて?』
『シャンタル。ジェラルドに余計な話をするな』
『あらお兄様。淑女というのは少しくらい悪く見える殿方に目を惹かれるものですわ』
『それはお前の好みの話だ』
『そのわたくしが、学年では一番の淑女(ダーム)だという事をお忘れにならないで』
『フランシーヌは清廉潔白な男が理想だそうだが?』
『フランシーヌ様はお兄様の内々のご婚約者ですもの。お兄様の顔を立てていらっしゃるのよ』
『お前なぁ』
『それに、リアーヌ様だって頷いて下さったわ』
不意に出てきた、今の僕を統べる存在の名前に胸が軋む。
『リアーヌというと、デュトワの娘か?』
父上の問いに、シャンタル姉上がうっすらと頬を染めて頷いた。
『はい。古語のクラスが一緒なので、フランシーヌ様を通じて、親しくお話をさせていただいておりますの。少しくらい悪く見える方が魅力的に映りますとお話をしましたら、笑って同意してくださいましたわ』
『リアーヌ嬢は嫋(たお)やかで優しい女性だと聞く。そのまま、お前に笑って同意を示しただけではないのか?』
『そ、そんな事はありませんわ!』
焦った様子の姉上に、母上からも、他の姉妹達からも笑いが零れた。
シャンタル姉上と、僕のすぐ下のベランジェールは今は亡き側妃の娘だが、母親同士の仲が良好だったからか、今も蟠りなくこうしてここ百年の慣例である一家揃っての食事の時間は朝夕続けられている。
今の次代、毒で以て出し抜こうとしていた後宮争いは、歴史本の中でも珍しく、まるで創作された物語のような扱いだ。
あの頃は何をしなくとも女性はシルベストルの周りに侍っていたから、口説き文句の評価は関係なかった。
僕が王だったから群がって来ていただけで、もしかしたら、僕には女性を惹き付ける魅力というものが欠けているか・・・足りていない?
気づいて思い返せば、かつての側近だったオーブリーに、よく女心が解っていないと言われていたような気がする。
“勉強しよう”
そこでの一念発起が、別の方向に転がっていく理由になるとは、僕には想像もつかなかった。
「とても・・・、お幸せそうですわ」
テーブルの向かいでお茶を飲んでいたフランシーヌが突然そんな事を呟いて、それに釣られて目線を上げた僕に微笑みを見せる。
「今のは、リアーヌ様のお言葉ですのよ? 先日、たくさんのご令嬢を引き連れて薔薇の遊歩道にお出ましになった殿下をご覧になった時の」
言われて、身の内から血の気が引く様な気がした。
持っていたカップを落としそうになって、慌てて受け皿《ソーサー》に戻す。
「不敬とは存じますが、敢えて、重ねて、申し上げますわ。ジェラルド殿下。あなた、阿呆ですの?」
「よしなさい、フランシーヌ」
フランシーヌの隣に座っていた兄上が、眉尻を下げながら苦笑して、昔から相思相愛と見える内々の婚約者の言葉を御した。
正式に婚約を布告していないのは、兄上の正妃にバルネヴェルトから王女を迎える事が婚姻統制で決まっているからで、王女が十六歳になって嫁いでくる来年以降に、側妃の座に就く事になる。
特にその順番については六カ国協議会からの制約はなく、正妃の座さえ空けておけば問題はないけれど、フランシーヌの実家であるバジェス公爵家が序列について厳しく唱えていて、特に、年若く異国に嫁入りしてくる王女に対して配慮を示すべきだろう事がその真意だ。
「ロゼールを見つけて二年。かつてと同じ言葉を返されたくらいであちらこちらの花々に余所見をするなんて、リアーヌ様に笑われても仕方ありませんわ」
「・・・笑っていた?」
直接的な衝撃が来た気がする。
苦しくなった呼吸を誰の目からも誤魔化そうと再びカップを手に取って、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干した。
「ちなみに」
フランシーヌの言葉が逃げる僕を追いかけてくる。
「リアーヌ様の笑みは、嘲笑という類ではなく、安心したような、不思議とそんな穏やかな笑みだったとだけ伝えておきます」
「安心・・・」
それはつまり、僕にもう言い寄られないという安堵という事だろうか。
「・・・そんなに嫌われていたのかな」
求婚の直後、当時のシルベストルの正妃が送り込んできた刺客に襲われ、恐れたロゼールが後宮入りを辞した事は仕方ない。
だが、まさか致仕する程に避けられるとは思いもしなかったから、暫くは意地もあって追いかける事もせずに無言を決め込んだ。
ブランディーヌの処刑後、再び争いが起こった後宮をどうにか力で押さえつけた一年と少し後に、もう何も心配はないと、ロゼールを尋ねてラフォンに向かったシルベストルに齎されたのは、既にカミュの嫡子と婚姻を結んでこの地を去ったという事実。
心のどこかで、ロゼールはただ争い事を恐れて逃げただけなのだと考えていたシルベストルは、ロゼールが自分以外の男と結婚するなんて、想定すらしていなかったのだ。
「ジェラルドが嫌われる理由ねぇ? ――――――年下だから?」
「エドワール様。それでは前世で振られた理由が成り立ちません。ロゼールより九つも年上でいらしたのです、陛下は」
「フランシーヌ。その呼び方は色々と不穏を招くからやめようね」
「失礼しました。・・・つい」
頬を染めると、いつもは人当たりが強く見える毅然とした表情も和らいで可愛らしく見えるのは、兄上の側にいる時だけの限定仕様。
そんなフランシーヌに頷いて見せて、兄上は再び僕を見た。
「なら、単純に考えるべきなのかな。前世では争いのある後宮入りを全力で避けて、今回は年下を避けた」
「記憶があるからといって、何もかもが同じではありませんもの。その可能性はありますわ」
「・・・つまり、僕が彼女に嫌われているという事実には変わりはないわけですね」
テーブルに飾られている花を見て、その薔薇の黄色に思わず口元を緩める。
チューリップ程じゃないけれど、この鮮やかな黄色もかつてのロゼールの瞳のようで、そして、今のリアーヌの髪のようだ。
「――――――でも、ロゼールといいリアーヌ様といい、どちらの彼女も”より良き幸せを”と願っているのが不思議ですわね」
小首を傾げるように言ったフランシーヌに兄上もまた首を傾げる。
「そうかな?」
「改めて考えるとそう思いますわ。あの時は王宮内の情勢が情勢でしたので、上位の手のついた女中一人が辞める理由など、あまり追及しませんでしたが」
「待て、私はロゼールに手など付けておらぬ」
「ジェラルド」
思わずシルベストルの想いで反論した僕は、それを兄上に手で制された。
「ロゼール嬢の名誉を守りたい気持ちは良しとするが、女性の話を折るのはいただけない」
「・・・失礼しました」
「フランシーヌ、続きを」
「はい。――――――ジェラルド殿下から前世での二人の馴れ初めなどを詳細に窺うと、シルベストル様の慰めになれるのならと覚悟を決めて側妃に上がる決意をした割には、ロゼールの致仕する理由があまりにもお粗末すぎる気がいたしますの」
「え?」
フランシーヌの焦げ茶色の目が過去に馳せられているのを見ながら、僕は固唾を呑み込んだ。
シルベストルとロゼール、そして僕とリアーヌの、複雑に螺旋を描いたこの交わらない関係性に、何か突破口があればと思う。
それは、リアーヌがロゼールだからではなく。
僕は今、純粋にあの美しいリアーヌの全てを知ってみたいと、男として愛を駆られている。
時々合う目線に、僕が知る以外の何かが込められていると感じるのは、ただの愚かな勘違いなのか。
それを確かめる術すら、今の僕にはないのだから・・・。
「もし本当に、ロゼールがシルベストル様から逃げ出した理由が刺客に襲われたあの一件なのであれば、恨み言一つくらいはありそうだと思いますの。だって例え僅かな一房とはいえ、あの時ロゼールは髪を切られたのです。致仕するに至ったという事は、それが許せなかったか、もしくは逃げ出すのに十分な恐怖の出来事だったという事ですわ。男女の情はあったとしても、その恨みの方が勝ったから姿を消したのであれば、その罪を科すべき相手に、”より良き幸せが訪れるように”などと、そんな殊勝な願いを、果たして求婚の返事とするでしょうか?」
「なるほど」
何かを考えるように、兄上が眉間を狭めてテーブルを指で叩く。
「リアーヌ様のご返答も腑に落ちません。薔薇の庭園で再会なさった時、リアーヌ様は証である子守歌を口ずさんでいらっしゃったのでしょう? 何かしらの想いがあるからこその行動だと思いましたのに、ご返答がまた同じだなんて、どうしても謎です」
「確かに。――――――ジェラルド。手紙にはどのように綴ったのだ?」
「手紙・・・ですか? 僕は、手紙は」
「ではカードか?」
「いえ、その・・・」
言葉を濁した僕に、フランシーヌがその細く美しい形の眉を顰めた。
「まさか、花だけをお贈りになったのですか?」
「・・・花に、想い《メサージュ》を込めた。ロゼールなら花言葉を判るだろうと、オーブリーにそう言って持たせて」
「ラビヨン様に?」
更にフランシーヌの顔が歪む。
「私、シルベストル様が花言葉に詳しいとは存じませんでしたわ」
「アシルが教えてくれたんだ」
「アシル殿下が?」
「アシル? ・・・確かシルベストル王の最初の子か」
僕とフランシーヌを交互に見ていた兄上が、思い返すように言葉を挟む。
「で? 一体どんな花を贈ったの、ジェラルド」
「チューリップです」
「チューリップ?」
「ええ、チューリップ」
「チューリップ・・・」
フランシーヌが、空に尖らせていた肩をゆっくりと下ろしたのを見て、僕も同時に息を吐いた。
どうやら問題は無かったようだ。
「どうやら杞憂だったね、フランシーヌ。赤のチューリップなら”君を愛す”。つまりシルベストルもジェラルドも、”私以外の方と幸せになって”と、そう返されただけだ」
「そのようですわね」
苦笑を交わし合った二人に、僕は慌てて告げる。
「いえ、僕が贈ったのは黄色のチューリップです」
「え?」
「は?」
兄上が、珍しく無作法に音を立てて椅子から立ち上がった。
「ジェラルド、求婚するのにどうして赤じゃないんだ?」
「求婚には赤なのですか?」
「愛を伝えるなら赤(それ)だろう? それくらいなら私にも判る」
胸を張って言われると、何か違えてしまったような弱気が湧いてきた。
「贈った花が、赤じゃなかった事に特別の意味はありません。ただ、黄色のチューリップになら意味はあります。シルベストルにとってロゼールがどんな存在かという事を示すにとても相応しい言葉だったのです。初めて顔を合わせた時に咲いていた花でもありますし・・・」
「いや、まあ、二人にとって意味があるのならそれでいいとは思うが・・・」
頭をかきながら椅子に座り直した兄上に代わり、今度はフランシーヌが立ち上がった。
「良くありません。シルベストル様はどのような意味でロゼールにその黄色のチューリップを贈られたのですか?」
微かな笑みすらも消したその真剣な表情に、僕も思わず身構える。
「・・・黄色のチューリップは”光”だと、アシルは教えてくれた。あの頃のシルベストルにとって、純粋なロゼールの存在はそれと同じで、だから・・・」
「リアーヌ様にも、時間が欲しいと言ったその後で、黄色のチューリップを贈られたのですね?」
「・・・ああ」
周囲の色が変わるというか、フランシーヌから伝わって来る強さが僕の喉を自然と上下させる。
地に着いた足から、冷たいものが浸食してくるような感覚があった。
「だからロゼールもリアーヌ様も、シルベストル様の、そしてジェラルド殿下の、”ご多幸を祈る”という答えになったのですわ。――――――いえ、その答えしか、彼女達は返せなかった・・・」
「フランシーヌ? どういう事だ?」
明確さを欲した兄上に、フランシーヌは薄緑のドレスを持ちあげて椅子に座り直し、そして思い切ったように口を開く。
「後宮に入った妃殿下方は籠の鳥。些細な事で幸せを想い、些細な事で不幸を思います。ですからきっと、アシル殿下も幸せな部分だけを教えられていたのでしょう」
これから僕に下される真実が一体どれだけのものなのか、想像すらつかず、閉じている筈の口内は乾く一方だ。
「アシル殿下やシルベストル様にとって、黄色のチューリップは”光”だったのかも知れませんが、一般的に花言葉を知る私達にとっては、全く違う意味になるのです」
「違う、意味?」
「はい」
一つゆっくりと頷いて、フランシーヌは言った。
「黄色のチューリップの花言葉は、”望みなき恋”。――――――つまり、殿下がリアーヌ様に贈られたのは、恋人達にとって別れを意味する花なのです」
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