―――――― ――――― オーブリーによって机に並べられた、新たに後宮に迎え入れたという妃達の絵姿を見せられて、私は辟易と息を吐く。 「我が国の予算は、やがて後宮費で食い尽くされるのではないか?」 頬杖をついた私に、オーブリーがきっぱりと一度だけ首を振って生真面目に答えた。 「まさか。我が国の後宮はブランディーヌ妃がご正妃になられてからというもの、金にあかせて寵を競う事をご自身も含めて律しておりますので、他国に比べれば至って健全な金額で賄われております。今の後宮を後二つ作っても、予算は十分に事足りる程です」 「…そうか」 私の安寧の為に力を尽くすと言ってくれたブランディーヌは、正にそれを適えてくれているという事だが…、 「しかしな」 私は内底から湧き出る嘲笑をそのまま唇に象った。 「何人の妃を迎えようと、余自身に子を作る能力が無くなったのであれば、それは無駄というものではないか?」 これだけ妃がいて、二人目を授からない原因について、私にその能力がなくなったのではないかという噂は既に、王宮のみならず、国民にはもちろん、諸外国にまで出回っている。 「いいえ、陛下。ご懐妊には時期や相性というものもありましょう。アシル様は陛下の能力を示す証。――――――ただ、進言をお許しいただけるのであれば、一つ」 「許す」 「王妃様の時と同じように、お相手を、一人に絞られてみてはいかがでしょう」 「…ふむ」 確かに、アシルを授かったのは、ブランを寝室に囲ってから三月目の事だった。 あれだけの密度にも関わらず、ふた月という時間を要したのだから、もし私の能力が弱まっているとするなら、数カ月に一度しか回ってこないような義務の中では、後宮の妃達に子を授けるのは難しいのかもしれない。 「考えてみよう」 「恐れ入ります」 「しかし、不思議なものだな、オーブリー。以前の後宮からは競うように報告が上がっていたものを」 「…それについては、私の方で思う所がありまして、極秘に調査を進めております。ご報告はしばらくお待ちを」 「何かあるのか?」 思わず体が緊張してしまったのは、かつてのような黒い闇が広がり始めたのかと警戒したからで、 「まだ陛下にご報告する内容には至っておりません。今のところはどうか」 「そうか…」 窓の外を見れば、夏の空が遠くまで雲もなく広がっていて、ふと、ロゼールの声を思い出す。 「休憩する」 「…かしこまりました」 週に一、二度。 こうして気紛れに繰り返している私の唐突な行動に、普段は神経を尖らせるオーブリーが行き先を尋ねてこないのは、既に把握しているからなのだろう。 「今日は食堂でフィナンシェが出たんです。とても嬉しくて」 「ロゼールは甘い物が好きなのか?」 「女の子は、大抵は甘い物が大好きだと思います。ショコラが出た日は、あちこちで悲鳴が上がりますから」 「そうか」 「幼い頃、初めてショコラを食べた時、とても嬉しかったけど、同時に寂しくなったのを覚えています」 「何故だ?」 「それまで一番大好きだった糖蜜の飴が、随分と遠くになったような気がしたのです。知らなければ、ずっと糖蜜がかかったパンケーキが一番だったのに、知らなくてもいいものを知ってしまったような、そんな気持ちになってしまって…」 「ロゼールは不思議な考え方をする」 「そうですか?」 「前に、猫にも話していただろう? 鶏肉を知らなければ、その虫をもっと幸せに食べられただろうにと」 「…はい」 「だが、その鶏肉を食べた時の幸せも、あの猫にとっては紛い物ではない」 「…ですが、きっともう二度と、口にする事の出来ない幸せです。知らなければ、――――――焦がれずに、もっと幸せだったのかも知れません」 「ロゼールはそう考えるのか…」 王家に生まれて、何もかもが強いられる窮屈な生き様ではあるが、望めば何でも目の前に用意される境遇ではあった。 知らない事を幸せとするのは、生まれや育ちの違いなのだろうかと考える。 「ロゼール」 垣根の向こうへと、私は呼びかけた。 「こうしてそなたと話す時間は、いつ制されるかも知れん遊戯ではあるが、私は出来る限り望みたいと思う」 「…はい」 「また明日も待っている」 肯定が小さく呟かれたのを黄色の薔薇の隙間から聞き留めて、私は執務室へと戻って行った。 ―――――― ――――― 「陛下。近頃は苦手な朝も活き活きとしていらっしゃいますね。何か心惹かれるものにでも巡り会われましたか?」 全てを知っているにも関わらず、一体私の口から何を引き出したいのか、含みのあるオーブリーの言葉に眉尻を下げる。 「変に勘繰るな。語らいにより得られる憩いの時間を見つけたに過ぎぬ。顔を見ずに話せるというのが良いのだろうな。このコルベールの王ではなく、シルベストル個人に対して、ささやかな癒しを齎してくれる存在だ」 「…お気に召したのなら、ご寵姫としてお傍に迎え入れてはいかがですか?」 「何?」 信じられない提案に、私は眉を顰めた。 「成人前の娘を、余に娶れというのか?」 声音を低くした私に、オーブリーは驚いたように目を見開いてから一呼吸をおき、咳払いをしてから告げる。 「陛下。畏れながら、ロゼール・ラフォン子爵令嬢は齢十八。既に成人なさったご令嬢です。陛下の妃たる資格は十分にございます」 「ロゼールが…? まさか…」 何度も会話をしてきたのに、初めて声を聞いた時の印象から覆る事もなく、ロゼールは十三、四の娘だと思っていた。 「いや、しかし、 「陛下、後宮のご内室様方は、陛下からとされている贈り物へのお礼を兼ねて、敢えてドレスや宝石の話を綴ります。ましてや、陛下の寵を得るようにと育てられた方々ですので、ご自身の趣向を語るような事は、愚行として控えているのだと思われます」 「…なるほど」 「年齢の話などはこれまでなさらなかったので?」 「いや…、特には…」 「ではご寵愛について催促されるような事は何も無かったと?」 「そのような色づいた話をされた事は一度もない」 「さようでございますか。するとつまり、ロゼール嬢には陛下に取り入り寵を得ようとする画策は基より無いという事でしょう」 「 「となれば、ご身分といいご器量といい、ますます、陛下が愛でる為のご寵姫には都合が 「待て、オーブリー」 銀髪を舞わせる程の勢いで扉へと向かいかけたオーブリーを慌てて引き留める。 「そもそも余は、ロゼールの顔も知らぬ」 「何を足掻いているのです。これまでのご内室様も特に顔でお決めになった方は一人もいらっしゃいません。何か問題でも?」 「それでもだ、オーブリー」 今直ぐにでも手配に差し向いたいと逸っているオーブリーは、口調を強めて引き留めた私を、心底不思議そうに見返した。 それほどに、私がロゼールに執心だと、長年の側近の目に映っているのだと思えば、恥ずかしさも覚えないではなかったが、 「余は――――――」 "余は、ロゼールを妃に迎える気は無い" そう告げようとした時、 「陛下! 陛下ぁぁッ! 一大事でございますぅぅぅッ! 一大事ぃぃぃ」 廊下を駆けてくる悲痛な叫び声に、オーブリーが迅速に動く。 「何事だ!」 開け放たれた扉の向こうで、正に取り乱したという様相の侍従長が絨毯に這うようにひれ伏した。 「ももも申し上げます! おおお王太子様が、あああアシル殿下が! おおおおおお亡くなりになりましたぁぁぁ!」 「何だと!?」 齎されたその訃報に、私の世界は、久しぶりに暗黒の色で凍り付いた。 ―――――― ――――― 「殿下は、いつも通りに朝食をお召しになり、それから暫くは王妃様とご歓談を…その最中に、お身体が急に痙攣を始めて…」 「殿下は毎朝同じものを召し上がります。まだお小さいからと、王妃様やご内室様とは別の 「王妃陛下は特に毒を警戒なさり、殿下に運ばれるまでの毒見も、事前と直前の二段階に分けて毎食確認されていらっしゃいました」 アシルより少し遅れて、その毒見係だった女官も息を引き取った。 事前に厨房で毒見をした女官は特に何もなく、毒が盛られたのは、厨房から王妃の部屋に運ばれるまでの間という事で調査は既に開始されていた。 『ちちうえ、ちちうえ』 私の指先に掴まる、アシルの小さな手の感触を覚えている。 『あれはチューリップです。しんじつのあいです』 赤い花を映した時の、煌めくような黒水晶の美しさを、私はまだはっきりと覚えている。 「アシル…」 棺の中、まるで眠るように在るアシルの小さな唇はあどけなく開かれていて、ここから零れていたあの可愛い声が、もう二度と聞けないのだと思うと、胸が詰まって息が苦しかった。 「ああああぁぁあ、殿下ぁああ、殿下ぁあああぁ」 棺に掴まり、狂ったように泣き叫ぶブランディーヌの声に、控えていた女官達からひくひくと嗚咽が漏れ聞こえてくる。 「陛下、そろそろ…」 祭司に促され、私と同じ青みがかったアシルの髪を一撫でした私は、棺を覆うようにして縋りついていたブランの肩を抱き、立ち上がらせた。 「ブラン、ブランディーヌ。我らが子はこれより禊に入る。アシルの邪魔をしてはならぬ」 「ううぅぅうぅああっぁあぁぁ」 乱れた薄紅の髪を直す事もせず、私の胸に縋ってきたブランの 数人の神官の手を借りて、アシルの眠る棺がゆっくりと神殿奥の禊の間へと運び込まれていく。 アシルは、そこで三日間の時を待つのだ。 俗世での穢れを落とすという名目と共に、万が一、人の不思議で息を吹き返した時の対策でもあった。 「嘘です…。殿下が亡くなったなんて、嘘です、嘘の筈です…陛下…、どうか…わたくしの…わたくしに…」 張り詰めていた何かが切れたのか、ブランはそう呟きながら、ゆっくりと崩れ始めた。 「ブラン…」 気を失ったブランの身体を横抱きにして、改めてアシルの棺を黙して見送る。 ――――――何故。 何故に私の子は、ただ生きる事すら難しい…? 『ちちうえ』 可愛らしいアシルの声が聞こえた気がして、私の目には、大粒の涙が膨れ上がった。 |