小説:望みなき恋と光㉒

ジェラルド㉒

 誰に知られないように、二年もの間、ひっそりと遠くから見つめていたリアーヌ・デュトワという令嬢は、王室専属の教師達がこぞって褒め称えるような、淑女の鑑――――――というよりも、まるで教科書に書かれている淑女そのもの、驚く程に見本のような存在だった。
 諸外国からも求婚に似た打診が多いのは、その見目の美しさだけではなく、それを認めた教師達の口端に上って関心を引くからで、王家の姫として矜持だけは王家の誰よりも強かったシャンタル姉上が、多少はあった筈の敵対心を縮ませて自分の不勉強さを恥じてしまう程に、リアーヌ・デュトワは絵に描いたような理想的な淑女だったのだ。

 けれど、それが崩れる瞬間を見つけてからは、これまで見せられていたリアーヌ・デュトワという完璧な淑女の姿は、彼女自身が持つ仮面の一つなのだと気づいてしまった。
 例えば、夜会(ソアレ)で僕にダンスを申し込まれた時の呆気に取られたあの表情。
 例えば、名前を呼ぶように強制すれば、動揺ありありと大きく目を潤ませて、何を言おうと微かに動く唇は、思わず奪いたくなる程に愛らしかった。
 リアーヌが僕の中に入り込んできたのは、彼女がロゼールだったからという切っ掛けがもちろんある。
 だが、それは何かが始まる印に過ぎず、積み重ねてきた今この時、僕は確かに、リアーヌ・デュトワという存在に対し、心惹かれてここに立っているのだ。

 「貴女は、不思議な人だ」
 「え…?」
 「百年に一人の淑女と謳われながら、僕の前ではそうじゃない」

 この感じ方は、シルベストルの年の功が齎すものではなく、リアーヌとロゼールの両方を知る僕だからこそのもの。
 時間をかけてゆっくりと思考しながら見れば見る程、もちろん、その淑女の顔もリアーヌのものだとは思うけれど、けれど僕には、ふとした合間に見つけられるその他愛ない仕草が、懐かしく記憶を擽っていた。

 「ねぇ、リアーヌ」

 その色白の手を取って、細い指先を誘うように持ち上げれば、釣られるようにしてリアーヌのショコラ色の瞳も上がってくる。
 伝わって来る震えには一体どんな意味があるのか、その眼差しを受け止めれば自ずと知れた。

 「今、この手に感じている震えが、貴女から僕に向かって溢れてきている想いの証の鼓動なら、とても嬉しい」
 「殿下…」

 そのか弱い呼びかけは、このまま抱き締めたいと衝動を起こす程に威力があった。
 でも物足りない。
 彼女にとっていつだって、僕は象徴ではなく、ただの人でありたいと願うから。

 「ジェラルド」

 意図して強く言えば、リアーヌの頬が僅かに染まる。

 「…ジェラルド、様」
 「うん」

 僕は知っている。
 リアーヌの、僕を見つめるこの瞳(め)は、ロゼールと同じだ。

 ”シルベストル、様…”

 そっと、子爵令嬢にとっては高貴過ぎる王の名を乞われて呼び、しかしそれ以上の慈愛を以ってシルベストルを優しく見つめていた、ロゼールと同じ。
 僕の想いに応える事は、現世のリアーヌにとってもやぶさかでない筈なのに、それなのに何故、僕の手を取って歩き出す事を固辞したのか。
 すれ違いがあるのなら、きちんと言葉にし合って正したい。
 それはかつて、シルベストルがロゼールと叶えられなかった事だ。

 「来て、リアーヌ。この宮が、なぜ花の離宮と呼ばれるのか、見せてあげる」

 リアーヌの指先にキスをして、僕はそう言いながら彼女をバルコニーへと導いた。
 この部屋は、かつてシルベストルが晩年を過ごし、そして最期を迎えた場所でもある。

 「…嘘」

 陽の元に進み出て、外の輝きを映したアーヌの顔は、見る見る内に頬を上気させて桃色にし、驚きへと変わっていった。
 その眼差しの奥に灯るのは、陽を反射させた大地の輝き。
 まるで箱庭のように形成された噴水周りの向こうに広がる、風に吹かれてさらさらと波を打つ、黄色のチューリップから齎される光だ。

 「ロゼール…」

 シルベストルの感情が、僕にその名を呟かせる。
 時は戻らなくても、僕達はここにいて存在を結びあっている。

 初めてロゼールと会った時と同じ眩しさで、かつてはシルベストルを、そして持ち過ぎた記憶に孤独になりがちだった僕の心を、いつも変わらず癒してくれた優しい光。
 それを映して目を輝かせたリアーヌは、既に感極まった様子だった。

 「シルベストルは、死ぬ際までロゼールを想っていた。最後の息を零す瞬間まで、ロゼールに出会えた事に感謝をしていた。――――――ロゼールはどうだったのか、聞いてもいい?」

 問いた僕に、ハッと息を飲んだリアーヌの眼差しが、悲し気に揺れる。

 「ロゼールも…ずっと、シルベストル様をお慕いしていました。本当に、ずっと、最後まで…」
 「最後…」

 シルベストルが最後に見たロゼールは、当時正妃だったブランディーヌの画策で衛兵に襲われたあの後、いつもの健康的な肌色をすっかりと失って、力なくベッドに横たわった姿だった。
 短剣で切られて短くなった髪の一房が、自分の何かを手折られたように目に映っていた事を、シルベストルは最後まで引きずり、そして今でも、僕の思考の底に重さをもって座している。

 「最期は、空の青に焦がれながら、息を引き取りました」

 放たれた真実が、矢となってシルベストルの心を射る。

 ロゼール、…ロゼール――――――。

 僕のものとは少し違う感情が、愛しくその名を呼んで泣いていた。

 ”シルベストル様”

 シルベストルの前では、努めて明るく振る舞っていたロゼールの明るい声は、まだ僕の中にも残っている。
 時々無邪気さを見せながら、親愛の深い女性だった。

 「…――――――そう」

 ロゼールと、カミュの嫡子との結婚が、全く幸せなものでは無かったと、シルベストルが知ったのは随分と後。
 望み通りにならないのが貴族の結だ。
 父親が力で制して治めていたカミュ一族に嫁ぐ事は、国境を守る子爵家の娘として当然と言われれば当然で、約束も前触れもなく迎えに行った自分はなんとも愚かだったと、ロゼールの幸せを願う振りをしながら、全てを見届けずに王都へ逃げ帰ったシルベストルは、その時の事を幾度となく後悔していた。

 シルベストルにとって、生涯忘れる事の出来なかった大きな悲報が入ってきたのは、ロゼールを心の隅においたまま十二年が過ぎた頃。

 ”陛下! ラフォンの地がバルネヴェルトの正規軍に侵攻されている模様です”

 突如として齎された事変に、王宮は揺れる。

 ”ラフォンが?”
 ”国境から、どうやらカミュの部落を中心に攻められたようだと”
 ”カミュ…”

 瞬時に過ったのはロゼールの安否で、

 ”カミュの土地は仕掛けの森と渓谷でバルネヴェルトからは難攻不落と呼ばれていた。国境とはいえ、どの辺境よりも安全だった筈ではないか”
 ”それが、どうやら内通者がいたようで、裏をかくように進軍されたとの報告が入っております”
 ”内通者…?”

 一報が入って直ぐ、国境を護るラフォンの手前に領を構えていた伯爵にラフォンの奪還の勅命を出したまでは良かったが、まるで潮が引くようにバルネヴェルド軍は姿を消してしまい、薄気味悪い色を混ぜた疑問だけが漂っていた中、

 ”陛下。内通者が判明しました”

 オーブリーが眉間を寄せたまま告げたのは、カミュの直系の、まだ幼い四男の名前。

 ”…九歳? そんな幼子がなぜ…”

 否。
 それよりも、カミュの直系とは、つまり――――――、

 ”地下に…、十二年もの間、地下の部屋に閉じ込められていた母親、ロゼール・バレを助けるため、偶然知り合ったバルネヴェルトの王子に交換条件として情報を渡したようです”
 ”ロゼール…?”
 ”どうやらロゼール・バレの身柄は、無事…と言うべきかは憚られますが、襲撃跡に遺体がないところを見ると、バルネヴェルトに奪われたと考えていいでしょう”

 ラフォン家の嫡子であったロゼールの兄、レナルド・ラフォンが不慮の事故で世を去り、残された直系であるロゼールが盟約を交わしていたカミュとの新たな絆として彼女は嫁いだ。
 それから数年もしない内にロゼールの父である子爵が病死。
 跡継ぎとなったのはロゼールが生んだ嫡男で、まだ赤子だった後継者の、その後見人兼中継ぎ代行人が、父親であるカミュ一族の惣領、ロゼールの夫だという事も、王家として承認した内容だけに把握している。

 だが、

 ”地下に、十二年…?”

 あんなに、陽の光が似合うロゼールが、

 ”何という、非道を…”

 両の拳を、机上に叩きつけても心は僅かにも晴れはしない。

 ”陛下、どちらに行かれます!? どうか気をお鎮めください”
 ”放せ、オーブリー! あの男の、余に謁見する度に不遜と見えたあの態度は、狙ってラフォン家を――――――余との事を知っていながら、ロゼールをッ”
 ”…仰る通り、嫡男の事故死も、前子爵の病死も、彼の地で内々に付された事実があるのかも知れません”
 ”許せん…ッ、あの男、よくもロゼールを…、余が骨の髄まで思い知らせてくれる”
 ”陛下! なりません! ラフォン子爵家の継承は、既に国の名の元に認められております。売国奴を生み出した今、陛下が情に駆られて過去を蒸し返せば、全ては私怨ととられましょう。王家の足元を掬われかねません”

 忠臣の尤もな進言に、他に良い術がないのかと拳を握ったと同時に、

 ”売国奴…”

 背筋を凍らすような閃光が背中に落ちた。

 ”……オーブリー、その子は、――――――ロゼールの子はどうした?”

 問われたオーブリーが、何かを見極めるような強い眼差しで寡黙を通す。

 ”オーブリー・ラビヨン! 余の問いに答えよ!”
 ”…は。――――――幼くとも、国を裏切りし罪状は明らかという事で、捕縛直後に首を…”

 「ジェラルド様…?」

 憂いを湛えた瞳で僅かに見上げてくるリアーヌは、黙ってしまった僕に戸惑ったらしく、まるで迷子のような顔をしていた。
 バルネヴェルトに保護されたロゼールは、自分が産んだ子供達がどのような人生を歩んだか、知っていたのだろうか?

 「リアーヌ」

 僕は、リアーヌの両手をしっかりと掴み込んで、その眼差しを覗き込んだ。

 「ロゼールがラフォンの地を離れた後、その息子達がどうなったか知っている?」
 「…はい。上の子は成人と同時に爵位を継ぎ、下の二人が軍を纏めて大業を成したと聞いております。叙勲も賜ったとか」
 「――――――ロゼールは、四人の子を産んだのでは?」

 その問いに、眉間を狭めたリアーヌが目を迷わせる。

 「…どうして…?」

 どうしてそれを知っているのかと、ロゼールにとって、シルベストルが自分の行く末を知っていた事は意外だったようだ。

 「その四人目の子に、シルベストルは会った事があるんだ。随分と後の事だけどね」
 「――――――え?」

 弾かれたように、リアーヌはハッと顔を上げた。

 「あの子は、生きて…いたのですか?」
 「え? 死んだと思っていたの?」

 驚きながらの僕の確認に、まるで操られるようにぼんやりと頷いたリアーヌは、とても動揺していて、

 「私は…――――――ロゼールは、三人も子を産みながら、子育てをした事がありませんでした。お乳を与えたのも、どの子にも数回の事。与えられた名前すら知らなかった…。乳の張る痛みに、ただ涙を流していたロゼールの悲しみは、今思い返しても苦しいばかりです。ですが、四人目の子は…」
 「右手に異形があり、ロゼールの手元に捨て置かれた」
 「…はい。名前もロゼールがつけました。けれどあの子――――――シルヴァインはとても聡明な子で、世話をしていた侍女の報告で興味を持った夫は、六歳の誕生日をささやかに祝っていた最中に突然やってきたのです。そして、問答無用で泣き叫ぶ母子(ふたり)を引き離しました」
 「そう…」
 「それから半年が過ぎた頃でしょうか。侍女がロゼールに淡々と告げたのです。あの子が死んでしまったと。反抗が過ぎて、酷い罰を受けて、傷を化膿させて弱ってしまったと」

 そう語るリアーヌの目尻に、涙の粒が大きく溜まる。
 僕が親指でそれを拭うと、華奢なリアーヌの肩が息を吐くようにして力を抜いた。

 「それからは時間が止まったかのように空虚な日々でした。気が付いた時には、カミュの土地はバルネヴェルトの王子が率いる大隊に襲撃され、私は――――――ロゼールは、気を失っている間にバルネヴェルトの土地奥深くまで運ばれていたのです」

 それは、シルベストルが知りたくても知り得なかったロゼールの軌跡。

 「初めて見る土地は、太陽が眩しく、空が眩しく、風が眩しく、大地が眩しく…。知らない土地なのに、…知らない土地だからこそ、まるで生まれ変わったような気にさせられました」

 僕はリアーヌの頬をそっと撫でた。
 その反動で、形を崩した涙が、まるで花が落ちるように美しく僕の手に砕ける。

 「子供達に…未練が無かったと言えば強がりですが、母として求められる自信が欠片もなかったロゼールにとって、新天地での目覚めは、人生を再出発する好機でもありました。何故か、バルネヴェルトの王子がとても良くしてくださって…、そのまま女官として務めさせていただけたので」

 リアーヌが語るその王子が、後にカーリアイネンと手を組んで、大陸統一を果たした立役者だ。
 そしてどうやら彼は、実は生きていた彼女の四男である若干九歳のシルヴァイン・バレに頼まれてその身を救い出したという事を、ロゼールにはまったく伏せていたらしい。

 ”首を…? まさか撥ねたのか!?”
 ”ええ”
 ”…馬鹿な…”

 茫然となって全身を震わせたシルベストルだったが、虫のように湧く濃い青で視界が覆われかけた時、ふと、オーブリーの口の端の動きに気が付いた。



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