小説:望みなき恋と光⑫

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ジェラルド⑫

僕の名前はジェラルド・コルベール。
六つに分かれた大陸の、その一つを統べるコルベール家に生まれた次男。
つまりは、コルベール王国の第二王子だ。

今年で、待ちに待った十六歳になり、やっと成人。

「やっと・・・」

内心で拳を握りながら、歓喜に浸ってそう表現するのにはもちろん事情がある。

「まあ、ご覧になって。リアーヌ様よ」
「黄金(ドール)色の豊かな御髪がまるで柔らかな秋の風のよう」
「前に講堂で間近にお見かけしたのですけれど、リアーヌ様がいらっしゃるだけで室内が明るくなったような気がしましたの」
「わかります~!」

今年デビューしたばかりの、前世も合わせれば七十六年を生きてきた僕から見ればまだ女性とも呼べないあどけなさが残る淑女の卵達が頬を染めながら囀り合う言葉を聞いて、うん、僕も分かると、思わず頷きかけてしまった。
同時に、僕以外の人の目にも、美しい彼女が憧憬として映っている事にすら、心にはっきりとした影が生まれる。

我が国きっての淑女と謳われる、リアーヌ・デュトワ。

見た目は全く違うけれど、かつて僕が、人として、男として、心から求めたただ一人の女性――――――ロゼール・ラフォン子爵令嬢の生まれ変わりだ。

“ちちうえ、きいろのチューリップはひかりなのです”

遠い過去で、僕の前身であるシルベストル・コルベールの息子だったアシルに教えて貰った花言葉が示す通り、彼女の魂はまるでその光だ。
初めてロゼールの姿を目に入れた時、辺り一面に咲いていた黄色のチューリップのように、明るく、眩しくて、優しい光。
陽の光すら反射させる、地上で最も輝ける光。

姿形がどう変わっても、内面から滲むその光に導かれて、僕の視線はどうしても彼女へと終着してしまう。

リアーヌ。

唇を動かさないまま、その名前を口の中に転がせば、甘美なまでの誘惑が僕を駆り立てた。
どれだけ柔らかいのか、常に誘惑を奏でる黄金の髪《シュヴドール》と、男なら誰でも、一度は唇を寄せてみたいと夢想する透明さが輝く肌の白。
濡れたように煌めくショコラ色の眼差しに息をするよりも長く映る事が出来たなら、男としての本懐は遂げたと考えていい。
そのくらい、彼女は美しかった。

彼女がそこにいるだけで、僕の目に映る世界は光で満ち溢れ、僕にとっては掛け替えのない憧憬。
本当なら、僕だけの彼女であって欲しいと願っているのに、それを求める事は、きっと彼女を苦しめる事なのだろうからと、口に出して望む事は躊躇われた。
第二王子である僕が求めれば、国王である父上をはじめ、王太子である兄上も、目の色を変えて王家に迎えようとする筈だからだ。

かつて、シルベストル・コルベールの側妃になる事を拒んで城を辞したロゼールの、きっとその決意も生まれ持っているだろうリアーヌは、王子である僕が想うままに求めてはいけない女性・・・。
立場が違うとはいえ、またしても王家に生まれてしまった僕が、心のままに手を伸ばしてはいけない人だ。

「ジェラルド殿下もそうお思いになりますわよね?」
「――――――何?」

甘えるような声が聞こえてきて、僕は体を傾け、それを紡いだらしいローズ色の唇に耳を寄せた。

「リアーヌ様のあの金の髪は、まるで奇跡のような美しさだと申しましたの」
「きっと夜明けの女神アウロラの化身ですわ」
「ジェラルド殿下も、やはりそうお思いになりますでしょう?」

周りの女の子達も、口々にリアーヌを褒め称える。

「そうだね。確かに、リアーヌ・デュトワ嬢の髪は天から零れ落ちる光のように美しいと思うよ」

けれど、僕がそう口にすれば、彼女達の機嫌は緩やかに下降していった。

「殿下がそんな風におっしゃるなんて・・・、もしやリアーヌ様がライバルなのかと、私達、不安になりますわ」
「いやですわ、そんな事はありませんわよね? 殿下。だって、リアーヌ様は確かにお美しいけれど、殿下より二つも年上でいらっしゃるし・・・」

何かを期待する眼差しが、僕を見上げてくる。

「・・・リアーヌ嬢は確かに美しいけれど、――――――でも、君のこの艶やかな漆黒の髪も、星のようなダイヤの髪飾りを贈りたいと思う程に魅力的だし、君の、思わず味見をしたくなりそうなチョコレート色の髪も甘そうで魅力的かな」

指先に絡め持った髪の毛の先にキスをして微笑めば、きゃあきゃあと悲鳴をあげる彼女達は、また競うようにしてそれぞれをアピールする会話にのめりこんでいった。

視界の隅に映るリアーヌのシルエットを意識して追いかける。
学友達と茶会をしているらしいリアーヌは、ただそこに座っているだけでも、僕の心をかきたてる人だ。
だからこそ、思い余って暴走しないように、僕は冷静さを保つために他の女性を求めては、やはり何かが足りないと次の女性、また次の女性と、寂しさのまま渡り歩くようになってしまった。
花を愛でると噂されれば聞こえはいいけれど、一部の文官からは節操のない王子だと蔑まれている事も知っている。

けれど・・・。

ふと、目線を再びリアーヌへと向けると、彼女もこちらを見ていたようだった。
遠目にも判る程の、他人行儀な目礼をして僕から目を逸らしたリアーヌは、まるで初めて再会した時の日のように、泣いているように見えてしまう。

「・・・・・・」

彼女の目にもきっと、コルベール王国第二王子である僕は、女にだらしのない男だと映っているのかも知れない。
けれど後悔は――――――しても、もう遅い。

やり直せるものなら、やり直したかった。
前世からというわけじゃない。

せめて、再会したあの時に戻れたら、今度こそ傍にいて欲しいと、せめてこの想いだけでも、伝えるだけ伝えてみたいと願う。
今はもう、それを伝える機会を作る事すら難しい。
人を使って打診をすれば、リアーヌは確実に王家に目をつけられてしまうから。

だから、偶然に出会えたあの夜だけが、きっと最初で最後の、僕の好機だったんだ。

なぜ、勇気が出せなかったのだろう。
あの時に芽生えた、リアーヌを腕の中に収める衝動への反抗は、今となっては”馬鹿馬鹿しい事だった”の一言に尽きる。

なぜ、リアーヌの腕を、僕は掴めなかったのか。
せめて、十四歳だった僕の心が、もう少し大人になれていたら、今という未来(けっか)は、違っていたのかも知れない。

 

――――――僕とリアーヌが現世で再会したのは、二年前。

その年の十六歳を集めて行われるデビュタントの夜会が開催された日の事だった。

 

 

『ジェラルド!』

デビュタントの会場である広間へと向かう途中、この国の王太子である僕の兄、エドワールに後ろから呼び止められた。

『兄上』

黒に赤が差し込む、コルベールでも特徴的な髪と瞳を持つ僕と違って、兄上の髪は明るい茶色。
瞳は赤茶と言えなくもないけれど、僕が隣に並ぶとどうしても赤とは表現し難い色合いだ。
見た目は父上に似てかなりの美形で、かく言う僕も将来が存分に見込めるかなりの造り。
まあ、王家に生まれたという事は、両親は優良同士の掛け合いなのだから、このコルベール家に平凡と呼ばれる容姿を持った記述は稀だし、外国でも同じ事だと思う。
その美しさ自体、国民を惹き付ける魅了(カリズム)の一つだ。

『ジェラルド。また宰相が縁談を持ってきたそうだな? アヴァティの公爵家令嬢』
『はい。今回は母上の押しもあったようで、気が付けば茶会での顔合わせでした』

僕の表情から、既に断りを入れた事を把握したらしい兄上は、護衛の騎士を手振りで少し遠ざけて、それから少し悲し気な笑みを浮かべながら口を開く。

『やはり、お前の探している姫とは違ったのだな』

探している姫。
その言い回しに苦笑しつつ、真剣さに応えようと僕も生真面目な顔で頷いて見せる。

『ロゼールは、前の生で九つ年下でしたので、もしかしたら今生でもそうなのかも知れません』
『おいおい。もしそうなら、ロゼール嬢を見つけたとしても、五歳の令嬢を名指しで婚約者にするのは難しいぞ? お前に似合う齢のご令嬢は多くいるのだからな。絶対に正気を疑われる。下手したら王族としての資質も問われるかも知れない。私でも庇い切れるか微妙なところだ』

本気で困った様子を見せる兄上に、僕は笑いながら小さく首を振った。

『大丈夫ですよ、兄上。僕はロゼールと結婚したいのではありません。ただ、僕が生まれてきたのなら、もしかしたらロゼールも生まれ変わったのではないかと、――――――そんな夢のような希望を持っているだけです』
『ジェラルド・・・』
『ロゼールに会えるかも知れないと期待しながら、王族に生まれた僕には、今生でも彼女を求める資格はないのだと、苦しくはありますが、きちんと理解はしています』
『・・・かつてとは違い、カーリアイネン帝国の采配で婚姻統制が布かれている今は、後宮も平和だ。お前の腕の中で十分に守れるのはないか?』

媚薬のような兄上の言葉が、脳を擽る。
確かに、昔、僕がシルベストル・コルベールとして治めていた時とは状況が大きく異なってはいるから、

『もしも、ロゼールが気を変えて望んでくれるのなら・・・』

そうなったら、僕はもう、死ぬまでロゼールを離したくない。
というよりも、ロゼールを目にしてしまったら、この腕に捉えてしまったら最後、もう二度と離せる気がしない。

あの薔薇の垣根を挟んで過ごした時のように、手を取り合い、口づけを交わし合った王宮での短いひと時のように、二人だけで、二人だけの時間を、ずっとずっと重ね続けたい。
死ぬ間際に、強く強くロゼールに焦がれたシルベストルの想いが、ジェラルドという僕の魂にも焼き付いてしまっていて、どんなに美しい物を見ても、美しい人を見ても、ロゼールを求める気持ちには僅かにも敵わなかった。

『・・・兄上。先にいらっしゃってください』
『また薔薇の庭園か?』
『はい。夜会が始まるまでには、まだ少し時間がありますので』

兄上が薔薇の庭園と呼ぶそこは、シルベストルとロゼールが、声だけの逢瀬を紡いでいたあの垣根があった場所の事だ。
六カ国の統一が布告され、婚姻統制が布かれて後宮の妃達が正妃の座を競う意味が失くなったその際に、シルベストルの名で垣根の向こう側にあった通称”花広場”まで王宮内の庭園とし、そこを眺める為の離宮を建立した。
あれから二百年。
離宮は代々の王が私的に使用する事が慣例となっていたようで、ただし、婚姻統制で出会ったにも関わらず今でも情熱的に一緒にいる父上と母上には無用の場所らしく、僕が初めて足を踏み入れるまでは、空気を入れ替えるだけの宮だった。
今は父上に許しを得て、時々僕がその庭園をのんびりと眺める為に利用する宮殿となっている。
全ての事情を知っている兄上は、僕がそこに住めるように密かに根回しを始めてくれているらしい。

『――――――分かった。遅れないようにな』
『はい』

護衛を引きつれて歩き出した兄上の背中を見送って、僕は廊下を横に逸れた。
前世の記憶がある事を、兄上に打ち明けたのは五年程前の事だ。
王として何十年も国を統治してきたシルベストルの記憶が僕を眩しく見せたのか、一部の臣下の目が僕に集まり始め、兄上の忠臣達の目が警戒を囁いていた。
王家を、愚かな歴史に導く火種にはなりたくないと、僕は意を決して兄上に全てを打ち明けたのだ。

自分が優れているのは前世の記憶があるからであり、決して国を揺るがそうとする基盤作りの成果ではない事。
そして、魂が求める女性がいて、国外から正妃、国内から側妃を迎えねばならない王には、決してならない、なりたいくないと誓える事などを、当時九つだった僕がロゼールとの馴れ初めも含めて大人びた口調で切々と語ったのだから、その時の兄上の狼狽振りは、他の誰にも見せらない程のものだった。

そんな突拍子も無い事を、語りだけで信じてもらえたのは、シルベストル統治時代の政治を語れたからではなく、その時十七歳の兄上にとって、女性との接し方についての助言(コンセル)が最も功を奏したかららしい。

『少し散歩してくるよ』

護衛の騎士であるバスチアン・バルニエにそれを告げるのは、一人にして欲しいという要望を含んでいて、慣れない騎士なら第二王子を一人にする事に躊躇するところだが、心得ているバルニエの気配は、一礼した次の瞬間には消えていた。

芝生の間に整えられた石畳を進み、短い薔薇の垣根を一つ抜けてはまた入る。
今はもう、どの垣根がシルベストルとロゼールを結んでいた垣根だったかは判らない。
ただ、小さく咲く薔薇、大きく咲く薔薇、垣根によって種類が違うから、もしかすると、花の種別を良く知っていたロゼールなら、どれがその垣根の名残なのか判るかも・・・。

庭園の所々で、早めに灯された花油のランプが夕暮れの中に瞬いている。
近くなった夜の香りが、優しい風に乗って僕の鼻を擽った。

シルベストルとしての記憶は歴史に記された事に対する事実と、習得した知識、体得した術。
それでも、剣術等は体がついていかなくて、筋肉をつけるまでは再現出来なかったし、言語も、僕が知っているのは古語と分類されるものだから、教師達に随分と訝しく見られていた。

知っている事を知らない振りをして、出来る事を出来ない振りをして、人を欺く事を、シルベストルとしての記憶を整理出来るようになった幼少の頃から常としてきた僕は、ロゼールの事を想う時だけが安らぎの時。

焦げ茶色の髪の柔らかさ。
シルベストルを見つめていた眩しい程の黄色の瞳。
気負いなく、シルベストルの安らぎだけを願うような心根を窺わせる表情。

思い出すだけで、現世のジェラルドという僕も、一人きりにならずに済んだ。

九つ下なら、今はまだ幼女だ。
それでも、会えば欲しくなってしまうような気がするから、そんな自分が恐ろしいとも思う。

記憶があったなら、かつての情に縋り、いずれ父上に賜るだろう所領の城に連れ去って囲う事は可能だろうか。
いっそ記憶がなければ、僕が望むように育てても・・・。

邪な考えが、幾つも幾つも、種類(モデル)を変えては頭を過る。

『愚かだ・・・』

まだ見つけてすらいないのに、ロゼールを手にしてはいけないという抑止と、ロゼールを得たいという欲求が、激しく心の中でせめぎ合う。

そんな自分をいつものように嘲いながら、来た道へと踵を返しかけた時だった。

遠い遠い時の彼方で、かつてロゼールの声音で幾度も紡がれた、優しい旋律の子守歌が聞こえてきたのは。

 

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