小説:望みなき恋と光⑥

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シルベストル④
――――――
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王家に生まれ、人の死は飽きる程に聞いてきたが、肉親の死はやはり堪えるものだ。
想定内だった筈の周りの反応が、刻、一刻と刻(とき)が過ぎる度に、刃となって私の何かを抉っていく。

「オーブリー殿、シルベストル陛下のお世継ぎの件を、早急に対処しなければなりません」
「大臣、陛下はこの度の事で大変な心労を抱えておいでです。もう少し弁えていただきたい」
「ですが、先王のご内室がお産みになられた王子殿下が王宮の外にてご存命でいらっしゃるのです。革新を求めておられる陛下より、古き慣習を愛するあの方を王にと、愚かに目論む一部の増長を許しかねません。どうか・・・」
「せめて亡き王太子殿下の禊が終わるのを待ってからでも遅くはない筈。それより、そのように急いた貴殿の姿こそ、敵に隙を見せる事になるのでは?」
「・・・自重、いたします・・・」

人の言葉が、上手く捌けずに私の中に澱として溜まっていく。

「ああ陛下、なんとお労しい・・・」
「どうかわたくしにお慰めさせてください」
「陛下」
「陛下、どうか私に――――――」

人の顔が、上手く見えぬまま、嫌悪だけが湧き上がる。

「――――――陛下、おいで下さったのですね」

アシルの母であるブランディーヌなら、この行き場のない痛みを分かち合えるかも知れないと、

「ブラン・・・。アシルの禊の間は、ずっとそなたと過ごそうと思う」

見えないものをかき分けるように後宮の奥に辿り着けば、

「おお、陛下。ありがとうございます」

涙に濡れながらも派手な化粧と、部屋に焚かれた香の不快さが私を出迎えた。

「ブラン・・・?」
「さあ、どうかご寵愛をくださいませ」
「何・・・?」
「わたくし、次も必ずや王子を産んでご覧にいれますわ」
「・・・ブラン、ディーヌ・・・?」
「さあ陛下」
「よせ、ブランディーヌ! まだアシルの禊も終わっていないというのに、母であるそなたは」
「大丈夫です。わたくしにお任せください。アシルに代わる王太子を、必ず」
「やめろ!」
「陛下!」

真っ暗で、何も見えぬ――――――。

私が生まれ育った地は、このように荒いものであったのか。
進む毎にふらつき、気を抜けば転びそうになる。

このように、私は弱い物であったのか・・・。

「ここは・・・」

どこをどう歩いてきたのか。
気が付けば私は、いつもの垣根の傍まで無意識の内に辿り着いていた。

何を求めてここに来たのか。

「シルベストル様・・・?」

考える間もなく、それは聞こえてきた。

「・・・シルベストル様・・・、シルベストル様・・・? そこにおいでなのですか?」

いつものように、垣根の向こうから優しい声音が私の名を呼び掛けてくる。

「ロゼール・・・?」
「シルベストル様・・・」

だが、その声はいつもより小さく、

「シル、ベストル・・・様・・・この度の、殿下の事・・・誠に・・・」

ロゼールから紡がれるのは、涙と哀悼が籠められた誠実な声で、そしてアシルの事を語るのは、私が誰か知っていたという証でもある。
私が何者であるのか、ロゼールが知っているという事実は、苦しみを抑えていた箍を外すには十分な威力があった。

「――――――ロゼール・・・」
「はい」
「ロゼール!」
「はい!」

呼べば応えるロゼールが、私が立っていられる拠り所のように感じられた。

「誰も、余に問うてはくれぬ」

私の中で極まった何かが、そんなロゼールに一気に向かって行く。

「誰も、余に答えてはくれぬ」
「・・・・・・陛、下・・・」
「余に似たあの可愛い子が、一体どこに行ってしまったのか、誰も、気にしてはくれぬ・・・」
「ッ、陛下・・・」

花の名を、歌うように教えてくれた我が子アシルは、

「もうどこにもいないというのに、誰も、その事について問うてはくれぬ」

私と同じ、王族の”王太子”としてしか生きられなかった、哀れな子だ。

「誰も・・・あの子を・・・」

熱い想いが、喉を駆け上がり、脳を滾らせ、まるで大地から噴き出す湯のように目から零れ落ちた。
頬を焼きそうな涙が幾重に落ち続けても、視界は何度も膨れ上がる。

「誰も・・・」

絞り出すように声にしていると、

「陛下が・・・、陛下がいらっしゃるではありませんか!」
「・・・何?」

ロゼールの、初めて聞いた金切り声が、蹲ってしまいそうだった私の心を垣根の向こうから揺さぶった。

「そのように嘆かれる陛下がいれば、それで十分だと殿下はきっとお思いでしょう」
「・・・ロゼール」
「そのように悲しまれる陛下がいるから、十分に幸せだったと、殿下はきっとお思いの筈です!」
「・・・だが、余は、アシルに何も伝える事は出来なかった」

ただ月に一度、手を引くだけが全てだった。

「何も、言ってやる事すら出来なかった」

自身が王族としてしか生きられない立場を厭いながら、アシルに、そうではない環境を作ってやることが出来なかった。
アシルが私と同じであろうと、私こそ、思いもしなかった。

「アシルにとっては、私も、私をそう扱ってきた者達と、何も変わらぬ」

私こそが、気づいて護ってやるべきであったのに――――――。

「何も変わらぬ・・・」
「いいえ、――――――いいえ、陛下」
「ロゼール・・・?」

垣根の向こうから聞こえてきた声音は、これまでとは違い、強く、落ち着きを孕んだ意志あるもので、

「愛は感じるものであると、私は母に教わりました。きっと、アシル殿下にも伝わっていたと思います」
「ロゼール・・・」
「殿下は禊においででしょう? まだ神の御許ではありません。殿下は、まだこの世にいらっしゃる。この世界で、陛下を見ていらっしゃるのです」
「アシル・・・」
「誇れる父君としてしっかりなさいませ! ぁ、痛ッ」

小さな悲鳴の後、急にロゼールの気配が消えた。

「・・・ロゼール? どうした?」

私の手が、思わず垣根を掴み、向こう側の様子を全身で探る。

「ロゼール!?」
「あ・・・いえ、何でもありません。ちょっと、興奮して、薔薇の棘を握ってしまって」
「何?」
「本当に、大丈夫ですから」

ふわりと、微かに血の匂いが届いた気がした。

「怪我をしたのか?」
「大した事はありません」
「そこで待て」
「・・・え?」

気が付けば、蔦を千切るように爪先をこじ入れて薔薇の壁をよじ登っていた。

「へ・・・陛下? 何をなさっているのですか?」
「そこで、余を待て」

手袋を通って掌に棘が刺さる事も気にならず、心に抱えた痛みに比べればと特に感じず、それよりも、ロゼールを私の目に入れたいという思いだけでいっぱいだった。

垣根の上に身を乗り上げて、初めて、これまで目隠しされていた向こう側の景色をこの目に映す。
そこに広がっていたのは、私とは違うロゼールが、ずっと見ていた明るい世界。

「・・・アシル・・・」

まるで大海のように、黄色のチューリップが群生していて、溢れんばかりの”光の世界”――――――。

『ちちうえ。チューリップのきいろは、ひかりなのです』

風に揺れて、光が波打つ。

それは、アシルが私を見上げていた時と同じような眩しさで、

光――――――。

光・・・、

「ロゼール・・・か?」

眼下に一人の淑女を見つけて、私はその姿のあまりの眩しさに目を細めた。
驚いた顔で私を見上げているロゼールは愛らしく、とても美しい黄水晶の瞳を持っていて、柔らかそうな焦げ茶色の長い髪を、ふわりと風に舞わせている。

「ロゼールだな?」
「は・・・はい!」

応えながら慌ただしく膝を折って地面に伏せようとしたロゼールに、私は直ぐに飛び降りてそれを制する。

「よせ、ロゼール。私はそなたにひれ伏して欲しくてここに来たのではない」
「陛下・・・」

そう言えば、いつの間にか名前で呼ばなくなっている事に気づき、眉を顰めた。

「なぜ、名を呼ばぬ」

尋ねて、ロゼールへと近づきながら手袋を外す。

「その・・・気づいていない振りは、もう出来ないかと思ったので・・・」
「・・・知っていたのだな?」

目を伏せるロゼールに、私を王だと知りながらも、顔も合わさないまま会話を興じてくれていたのだと思うと、胸が熱くなった。

「・・・ロゼール。そなたには名を呼んで欲しい」
「陛下・・・」
「前にも言った。これは、余の望みである」
「・・・はい、シルベストル様・・・」

初めての感情だった。
誰かを見つめるだけで胸が焦がれる。
このような想いが、世界にはあったのだと、あまりにも苦しく、心が痛い――――――。

己の身が、生身であった事を思い出した気さえする。

「傷を見せよ」

水仕事があるからか、少し荒れた手を無理に開いた。
小さく血が滲んだ傷に、気がつけば唇をあててしまっていて、

「シルベストル様!?」
「・・・そなたの傷は、何故か余をも痛めつける」

何か言いたげなロゼールの顎を指ですくい、その眼差しを正面に見つめた。

「花の黄色を映して、そなたの瞳こそがまるでチューリップのようだな」
「・・・あの・・・」

私が何かを紡ぐ度に、顔を真っ赤にするロゼールは、まだ少女のように初心(うぶ)だった。

「そなた、恋をした事は?」

ロゼールがゆっくりと首を振る。

「キスを、した事は?」

今度は、素早く否を返される。

「悲しみの縁に咲いたこの小さな喜びを、そなたと分かち合いたい」

親指で形を確かめるように唇をなぞると、これまでに知らなかった苦しさが私の理性の息の根を止めた。

「・・・え?」
「余に、慰めを、ロゼール」
「シルベ・・・」

自ら望んだ名を呼ぶ事を、柔らかく唇を奪う行為で強引に遮っていた。

 

 

――――――
―――――

コルベール王国の歴史上、最も多くの妃を持ったのはこの私、シルベストル・コルベールである。
生涯を通して私の傍にと送られてきた妃は総勢二百十七人。
五十二歳になり、カーリアイネンとバルネヴェルトの連合に統一戦争をしかけられ、二年かけて敗北するまで、後宮にいた当時百二十三人の妃達に対しても、衰える事無くきちんと義務を果たしていた。

授かった王子は十八人。
王女は二十二人。
育たなかった子はその倍はいて、生まれる事すらなかった子はもっと多い。
毒で亡くなった妃は四十四人。
三十年以上に渡る治世において、後宮でどれだけの人間が亡くなり、その死因が暗殺か病死だったかは、コルベール王国の歴史の一部として、正確に記して残そうと思う。

二十代の終わりに初めて授かった息子のアシルを亡くした際、オーブリーの調査によって発覚したのは、その主犯と実行犯だけではなく、王妃ブランディーヌによる国家への反逆だった。
男子を最初に産んで王妃となったブランディーヌは、厨房の料理長を脅して手中にし、自らをも含め、妃達の食事に避妊薬と堕胎薬を混ぜるよう命じていたのだ。
王の息子《跡継ぎ》は我が子《アシル》一人で良いと、覚悟を決めての事だったらしい。

発覚直後、国家反逆罪で裁判もなく首を撥ねられたブランは、最期の瞬間まで王子を産みたいと私に寵愛を求めていた。
恐らくは、全てを賭けていたアシルを亡くした時点で、彼女の心で何かが壊れてしまっていたのだと思える。
その後、背後関係の洗い出しで分かったのは、結局はブランディーヌも、実父に操られた哀れな子羊であったという事。
王家の闇は、とにかくどこまでも人を不幸にすると、それが空しく確認出来ただけの事件だった。

そして動乱の時は流れ、私がこの世に生れ落ちて六十年目である今年は、病に倒れて漸く迎えた晩年である。
振り返れば、良きも悪しきも全てがお膳立てをされ、それを甘受し、正面からは華やかに見えるように振る舞いながらも、密やかな孤独に耐えた人生であった。
王族は決して自由ではない。
外国ではどうか知らないが、古き慣習が亡霊のように生き続けているコルベールでは特に王族は不自由のように思う。
個人としての犠牲を払い、公人としての人生を歩む。
子を作れと言われれば励み、裁けと言われれば奮起し、国の為にと死を望まれた王すらも我が国の過去には在ったのだから、ここまで長生きが出来た事は、恐らく幸せな王であったと、後世では語られるに違いない。
そう考えると、私の人生も滑稽という意味で面白味はあったように思う。

――――――たった一度、

一人だけ。

私が自ら欲したロゼール・ラフォンは、求婚のつもりで送った使者への言伝を最後に、私の前から姿を消した。

“より良き幸せが、シルベストル様に訪れる事を祈っております”

誰よりも、その”良き幸せ”を私に与えられたであろう本人からのその伝言(メサージュ)に、暗黒の日々に自ら私を突き落としておいて何を言うかと恨みに思った日もあったが、それから暫くして始まった、空席となった王妃の座をめぐる後宮での毒殺合戦を見るうちに、この現実にロゼールがいない事を私は何度も感謝した。

“より良き幸せ”とは私にとって、ロゼールが、黄色のチューリップが咲き乱れたかのような明るい世界で、穏やかに、健やかに生き過ごしている事に違いない。

『知らなければ、幸せだった』

離れてからも、私の胸に灯り続けた黄色の光《ロゼール・ラフォン》。
その瞳の色に似た黄色のチューリップを見る度に、その光を知らなければ良かったと強く嘆く負の心と、知って良かったと深く喜ぶ正の心がいつも激しくせめぎ合い、

――――――ああ、ロゼール・・・。

やはり私は、そなたを知らぬ人生よりも、知って焦がれ、思い出しては焦がれるひと時がある、寂しさと切なさに塗れたこの人生の方が、不幸ではなかったと考える。
そなたに寵を与えられたあの猫も、たった一度だけ鶏肉を食べた幸せを、それと同時に、そなたに笑顔を向けられた幸せを、最期の息の瞬間に思い出しただろう。

ロゼール。

ロゼール・・・。

「余は・・・」

きっと、最期の一息を紡いだ、今の私と同じように――――――・・・・・・。

※イチ香(カ)の書き綴った物語の著作権はイチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりません。詳しくは「こちら」をお読みください。




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